子女によって父母が完成する
神様の創造原理の中に、極めて重要な基本公式があります。
① 父母によって子女が生まれる。
→ 神によって人間が生まれる。
② 子女によって父母が完成する。
→ 人間によって神が完成する。
①は当たり前のように見えながら、深い奥義が隠されています。
①と②は密接につながっていて、神様が子女としての人間を創造された理由(目的)は、子女によってご自身が完成するためでもあったと考えることができます。
本体論によれば、アダムとエバが完成して結婚式を挙げない限り、神様も結婚できない。
結婚できなければ、男女の愛の喜びも感じることができない。
ですから、神様にとって、人間は絶対に完成してくれなければならない対象なのです。
その意味で、人間は神様にとって、ご自身よりも重要である。
これを、
「相対絶対主義」
と聞いてきました。
親子、神と人間の関係だけに限りません。
すべての関係において、この主義は妥当します。
先日、昼食を一緒に食べながら話した方があります。
教会で教育を担当している方です。
その対象は、特に年齢の高いおばあちゃんたちが中心。
つい、
「この方たちに難しい原理をそのまま講義しても、理解ができないだろう」
と見做されやすい。
ところが、その方は、そういうおばあちゃんたちに講義する時、
「ありがたい」
と思うというのです。
「こんな私の講義を聞きに、毎週必ず集まってくださる」
それで、ありがたいというのです。
原理がそのまま分からないように思っても、
「何とか神様の心情を感じてほしい」
と願って精誠を込めて講義していくと、その方々も次第に変わっていくのが感じられる。
講師自身も神様の心情を完璧に感じてわかっているわけではありません。
しかし、壇上に立って講義を始めると、神様の代身ですから、自ずと神様の心情を感じるようになるのです。
ですから、この講師は、受講者たちのお陰で神様の心情に近くなる。
これも相対絶対主義です。
教育者はややもすると、
「私があなたに教えてあげる」
と考えやすいのです。
「私が教える主体であるので、対象であるあなたは素直に聞きなさい」
口には出さなくても、そういう思いを抱きます。
敢えて言えば、傲慢心です。
しかし真実はそうではない。
受講者がいてくれるお陰で、私が講師になれ、講義を通して神様により近くなれる。
神様は相対絶対主義者第一号として、この世で最も謙虚な方であられるのだろうと思います。
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