理想の先惟者と実現者
昨夜、多分夜中の2時から4時頃にかけてだと思いますが、もの凄い集中豪雨となり、雷鳴が響き続けました。
雷鳴も並みのものではなく、それこそ花火のように数秒ごとに来るのです。
「雷は天と地が愛し合うことだ」
と文先生が言われましたが、昨夜は相当に激しく愛し合ったようです。
そして、愛し合えば、水もたくさん流れるのです。
今朝はすっかり雨も上がり、愛の満足を得たかのように、穏やかに晴れ間が出始めています。
● 理想を先惟したのは神様で、実現するのは私
昨日、自分の中の「自体自覚」について書いたのですが、今朝一番の劉会長の講義を聞きながら、改めてそのことについて考えました。
父母の心の中心は、子女です。
神様も子女を通してご自身の理想を成し遂げたくて、アダムとエバに三大祝福を与えられました。
その三大祝福を通して、神様はご自身の理想を「先惟(せんい)」(先に考える、設計図を描く)されたのです。
そして、その設計図通りにアダムエバに理想を実現してほしいと願われたのです。
ここで、次のように考えることができます。
① 理想を先惟されたのは神様(父母)
② 理想を実現するのはアダムとエバ(子女)
ここに創造の核心があると言ってもいいでしょう。
神様は心、人間は体の関係です。
体は心が願うように動くものです。
この原則を失念して、理想を自分なりに考えることを、
「自体自覚」
と言うことができます。
例えば、この30日の特別教育に参加する時、どういう考えで来たのか。
「私は教会のスタッフなので、行かなければならないだろう」
「私が行けば、恵みがあるだろうか? 私は変われるだろうか?」
そういう自分なりの思い、自分を基準においた考えで充満していたのです。
今もその思いが抜け切れてはいません。
しかし、この教育は私が先惟したのではなく、神様(ご父母様)が先惟して、私たちを呼ばれたのです。
ですから、私はこの教育の理想に対して云々する立場にあるのではありません。
私がすべきことは、その理想を「実現する」ことです。
《追記》冒頭の写真は、1982年、私たち夫婦が文先生のマッチングによって初めて出会った場所です。今は中庭に車が駐車されていますが、当時は全体にブルーシートが敷かれ、そこにたくさんの男女が集まってメシヤによるマッチングの奇跡が展開したのです。
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