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「今」に留まる

kitasendo
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「何かに向けて、今努力している時、その努力は将来成就すべき目的のための手段ではない。努力自体が目的である
今朝の教会出発式で、教会長がしきりに強調されたことです。

例えば、「信仰基台」を立てるのは「実体基台」のためであり、それらは「メシヤのための基台」を立てるためである。
そのように考えると、信仰基台は実体基台のための手段であり、その2つはメシヤのための基台を立てるための手段である、ということになります。

しかし、実は、信仰基台を立てることはそれ自体が目的であり、実体基台もまた同様である。

アダムの次男アベルが供え物をする時、それは将来においてメシヤを迎えるためではなく、供え物をするまさに今、神様をどれだけ愛するかが重要でした。
心を尽くして神様を愛さなければ、彼は自分の心を浄化して、堕落性を脱ぐことはできなかったのです。

文亨進世界会長が『天和堂』の中で、次のように書いておられます。

過去や未来の、どちらの思いの列車にいても、私たちは、最も重要な場所である「現在」にいないのです。現在という瞬間こそが、私たちには実際的なものであり、それは無限に継続して美しい宝を一つ一つ見せてくれ、一瞬一瞬新しい姿で近づいてきます。・・・時間は常に「今」があるだけです
(『天和堂』p.42)

私が何かの目標に向かって努力していたとしても、その私が生きている時間は「今」しかありません。
私が達成しようとしている目標は、まだ私の手に入ってはいないのです。

私たちは手に入っていない将来の目標に意識を向けるあまり、私が実際に生きている「今」という時間を極めて中身の薄いものにしてしまいがちです。

私は昨年の8月から訓読を始め、1時間チャートを100回読み、その後、3時間チャートも100回読み終えました。
今は12時間チャートを訓読し始めています。

しかし、毎日をそれを訓読しながら、自分の意識が、
「将来のある時点までに何回読んでいる」
「このペースで読めば、いつまでに何回読める」
というところに漂っていることに気がつくことがしばしばあります。

その時私はまさに、
「最も重要な場所である『現在』にいない」
のです。

原理の本を見れば、そこには神様の六千年の心情があるのです。先生の一生の血を流した闘争の歴史が、そこにあります。皆さんの知らない内容がいくらでもあるのです。

そのような原理の本を1ページ1ページ見るたびに、夜を徹して祈祷し、「ここに神様の心情を探すことのできるはしごがあるのではないか」と思いながら覚えましたか。線を引きながら、この一言の背後にどんな歴史があるのかを考えてみましたか。
(『文鮮明先生の み言に学ぶ統一原理(前編)』p.19)

そんなふうに、今私の目に映る一つのみ言葉に六千年を感じるような、そんな訓読を心がけなければいけないと思います。

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とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。

2012年06月16日 (Sat) 14:58
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2012年08月28日 (Tue) 15:26
kitasendo
Admin:kitasendo