アダムはなぜ中心人物になれなかったか
アダムの家庭は復帰摂理を担当する最初の家庭でした。
神様の摂理は常に、先ず中心人物を決めなければなりません。
アダムの家庭では、父親であるアダムを中心人物にせず、次男のアベルにその任を担わせたと、原理講論にあります。
なぜアダムを中心人物から外したのかというと、神とサタンとの中間位置に立っていたから、と言うのです。
この点に関して、アダムが中心人物に立つ道はなかったのでしょうか。
本体論の講義に中に、次のような内容がありました。
アダムは神様の戒めを破って「善悪の実」を取って食べた後、神様から、
「お前はそれを取って食べたのか?」
と詰問された時、
「私と一緒にして下さったあの女が、木から取ってくれたので、私は食べたのです」
と返答しています。
このアダムの返答は、「責任転嫁」の典型だと言えます。
しかも、この責任転嫁はエバに向けてしているように見えながら、実のところ、そのエバを創造して自分の伴侶としてくれた神様ご自身に向けているのです。
「神様、あなたがこんな女を造って私にくれたために、私はこんな不甲斐ないことになったのです」
と言っているのです。
この時、エバも自分で責任を取らず、天使長に責任を転嫁しています。
天使長はもちろん、責任を取りません。
もしもこの時、天使長が責任を取っていたら、それこそ大変なことになっていたでしょう。
天使長が人間に対して永遠の主体になってしまいます。
復帰摂理が始まった時、神様はなぜアダムを中心人物に据えられなかったのか。
それは、取って食べた時、彼が責任を逃れたからである。
そんなニュアンスが、本体論の講義の中にあったように感じます。
とすれば、彼がその時、あくまでも、
「私の責任で取って食べました。私が責任を負いますので、これを償うために必要なことを教えて下さい。エバや天使長の分まで、私がすべて代表して償います」
と言っていたら、どうなったでしょうか。
アダムがそこまで責任を取るといっているのだから、神様は彼を復帰摂理の中心人物に据えられた可能性はないでしょうか。
つまり、アダムは戒めを破って罪を犯したから神とサタンの中間位置に立ち、中心人物になれなかったのではない。
犯した罪に対して責任を負おうとしなかったので、中心人物として立てられなかった。
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