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教育部長の講義日記

家庭連合の教育部長として、統一原理を講義し、思索する日々

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信仰的変容の力

ぶどう

私たちが復活と希望、善の途絶えることのない源泉になる無限の知恵を発見し、感じられる所、同時に神様がもっていらっしゃる深い悲しみと傷を、少しでも感じられる所は、正に ”深い沈黙の中” なのです。

これが、宗教を、単純に人々を道徳的に導こうとする「道徳的仮定」として認識したカントに対する抗弁です。カントの認識方法に対する直接的な応酬です。
宗教的な経験と意識の中には、理性の範疇を超える何かがあります。沈黙の瞬間、深い祈祷と瞑想、心身統一訓練の中には、人間の知性で把握できる理解を完全に超越した、あまりにも奥が深くて言葉では形容できず、自分が経験しているということすらも感じなくなる、そのような何かがあるのです。

カント的思考、すなわち「人間のすべての経験は、理性の範疇の中で理解されなければならず、本質と対象の間には、一定の距離がある」という理論は、心と体の深い調和や、人間は神と結合されている存在であることを理解しないところに起因しています。
カントの還元主義、複雑な思想や命題などを、より単純化して説明しようとする主義に反し、私たちは、心身統一訓練をすることによって、有限な認識と知性を超越して、神と結合することができ、至高の善と愛、知恵の根源、私たちの本心に触れることができます。
(文亨進『天和堂』p.32-33)

人間には内的な知と外的な知がありますが、堕落によってその両方の知を喪失しました。
それで内外の知を取り戻そうとしてきたのが、宗教と科学であったと、原理講論に説明されています。

内的な知に関するのは、

① 人間はどこから来たのか
② 人生の目的は何か
③ 来世や神は存在するのか
④ 善とは何か、悪とは何か

などがあります。

哲学者であるカントはこれらの問題を、自分とは一定の距離があるものと捉え、理性の範疇の中で理解しようとしました。
しかしそれでは、道徳的仮定の話に留まってしまうというのです。

私たちも「深い沈黙の中」で心と体の調和、神と自分との一体感を感じられなければ、宗教的教えが「道徳的仮定」に留まってしまう可能性があります。

「道徳的仮定」も人間を善化する力を持ってはいるでしょう。
それと宗教的な力とは、どこが違うのでしょうか。

『今ここに生きる力』に出てくる表現を使えば、

「道徳は人間を変化させることができるが、宗教は人間を変容させる力を持つ」

と言うことができると思います。

「変化」は時間をかけて、漸進的、直線的に起こります。
それに対して、「変容」は瞬間的に起こる「状態のシフト」です。

例えてみれば、0°から100℃まで水温が上がっていくのが「変化」であり、100℃になって水が水蒸気になるのが「変容」です。

水温を上げるために、外部から熱エネルギーを加える必要があるように、道徳的に良くなっていくにも、絶えざる意識と努力が必要でしょう。
しかし私たちがある一瞬において変容するには、自分の努力だけではない、何かもっと大きな力がなければなりません。
神との一体感からもたらされる無限の力こそ、その力だと言えるのではないでしょうか。

私たちは確かに、さまざまな機会に自己の変容を感じることがあります。
例えば、私もかつて長期の修練会に参加した後に、自分でも驚くほど人の心に敏感になり、その人がそこにいるだけで有り難く、涙がやたらと流れるという体験をしました。
これは明らかに自分の努力だけではないのです。

ただ、自分のどこに、どのように、どのような力が働いたのか、はっきりとは分からないのです。
それがただ単なる「外力」であれば、いずれその力が遠のけば、自分の変容も元に戻ってしまうでしょう。
その力がいかに「内力」のように働くか。

「自分が経験しているということすらも感じなくなる、そのような何か」
として、自分の中で神様の力が働くようにならなければだめなのでしょう。
そのために、「深い沈黙の中での心身統一訓練」が必要なのだと思います。

●関連記事●
「沈黙の中の神」
「思いの列車から降りる」


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神々 * by かきね
こんばんは。ここで述べられている神様とは、なんですか? 日本語の神は、考古学、言語学、歴史学、哲学、宗教学、科学・・・に於いて、森羅万象万物に宿る神々の一つを神と言います。例えばキリストやヤハウェなどは、日本語の「神」を駆逐するモノで神とは敵対するものです。それらは、英語ではGodですが、神ではありません。

Re: 神々 * by 管理人kitasendo
お訪ねくださり、ありがとうございます。
私がここで神と呼んでいる方は、聖書において天地を創造されたと書いてある、その方です。
モーセには「私はあってある者」と自己紹介された神であり、イスラエルの数々の預言者たちに言葉を与えたヤハウェです。
イエス様が「我が父よ」と呼ばれたその神です。
統一原理ではその神を人類の根源的な父母だと呼んでいます。

承認待ちコメント * by -

* by 日韓太郎
「変化」と「変容」の違い、
わかりやすく説明して下さいました…

人間が果たすべき責任分担を完遂する時、
成長過程を経て、我ならぬ我の力の力が加わり、
奇跡とも言える結果をもたらす事がありますが、
「変容」を望むなら、お湯が水蒸気に変わる
沸点があるように、「変容」をもたらす沸点まで、
継続的な「変化」をもたらす意識、
努力の蓄積が必要だと思いました…♪

ありがとうございました…m(_ _)m

日韓太郎さんへ * by 管理人kitasendo
新しい年を変容の年にしたいと思います。
ほぼ毎日のコメント、本当にありがとうございます。
どれだけ激励されたことか知れません。

コメント






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神々

こんばんは。ここで述べられている神様とは、なんですか? 日本語の神は、考古学、言語学、歴史学、哲学、宗教学、科学・・・に於いて、森羅万象万物に宿る神々の一つを神と言います。例えばキリストやヤハウェなどは、日本語の「神」を駆逐するモノで神とは敵対するものです。それらは、英語ではGodですが、神ではありません。
2009-12-31 * かきね [ 編集 ]

Re: 神々

お訪ねくださり、ありがとうございます。
私がここで神と呼んでいる方は、聖書において天地を創造されたと書いてある、その方です。
モーセには「私はあってある者」と自己紹介された神であり、イスラエルの数々の預言者たちに言葉を与えたヤハウェです。
イエス様が「我が父よ」と呼ばれたその神です。
統一原理ではその神を人類の根源的な父母だと呼んでいます。
2009-12-31 * 管理人kitasendo [ 編集 ]

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです
2010-01-01 * - [ 編集 ]

「変化」と「変容」の違い、
わかりやすく説明して下さいました…

人間が果たすべき責任分担を完遂する時、
成長過程を経て、我ならぬ我の力の力が加わり、
奇跡とも言える結果をもたらす事がありますが、
「変容」を望むなら、お湯が水蒸気に変わる
沸点があるように、「変容」をもたらす沸点まで、
継続的な「変化」をもたらす意識、
努力の蓄積が必要だと思いました…♪

ありがとうございました…m(_ _)m
2010-01-01 * 日韓太郎 [ 編集 ]

日韓太郎さんへ

新しい年を変容の年にしたいと思います。
ほぼ毎日のコメント、本当にありがとうございます。
どれだけ激励されたことか知れません。
2010-01-01 * 管理人kitasendo [ 編集 ]