fc2ブログ
line-height:1.2;

子どもが親を完成させる

kitasendo
parents-child 

教区本部より家庭教育部長を迎えて、本日、祝福家庭集会をもちました。

集まったのは、これから祝福を受けるべき年齢の子女を持つ家庭の父母たちです。

家庭部長は二世たちの祝福の重要性とともに、その難しさも語りながら、集まった父母たち一人一人に子どもたちの実情を含めた自己紹介を求めました。
十数家庭の自己紹介を聞きながら、二世部長という役ももっている私としては、相当に胸の痛い思いをしました。

ほとんどの父母たちが、子女の現状に対して何らかの不安と後悔、そして心の痛みを抱いています。

「もう、回復は無理ではないか」
と諦めたくなるような実情さえ聞かれます。

もちろん、修練会などを通して子どもが大きく転換した、というような希望的な証もあります。
しかし、総体的には、子どもたちの教育に対して「長い暗中模索状態」を通過してきているというのが正直な現状です。

私たちの何が問題なのだろうか、と考えます。

ある意味では、神様も長い間、子育てに失敗した神様であったと、言えなくもありません。(神様、失礼)
アダムとエバを16歳の頃まではまともに育てましたが、思春期になって2人は道を外れました。

それ以来、神様は子育てに失敗した神様として、失った子どもを取り戻す道を辿ってこられました。
そして今日、神様はやっと子育てを成し遂げた神様となられたのです。
「真の父母」という最初の子どもが完成したからです。

すると次には、その真の父母がご自分の子どもを完成させなければなりません。
そしてその次には、私たちそれぞれが自分の子どもを完成させなければなりません。

神様はアダムとエバに三大祝福を与えて、
「完成せよ」
と言われましたが、考えてみると、父母が子女を完成させるのではないようです。

事実はその逆で、
子どもが親を完成させる
というのが事実に即した観点ではないかと思います。

子どもが完成することによって、親が初めて完成する。
子どもが完成するまでは、親は完成できない。

ですから、神様も長い間、未完成な神様であり続けたのだと言えます。

私たちも親として、子どもたちがなかなか思い通りに育ってくれない姿を見ながら、苦しみ、悩むのは、子どもたちが完成してくれない限り、私たちも完成できないからではないかという気がします。

とすれば、子どもたちの問題は、すなわち私たち親の問題です。

神様が今日、真の父母を通して完成した神様になられたように、私たちもこれから、子どもたちの完成を通して完成した親になっていく道が残っています。

現状はさまざまな問題が山積しているのですが、徒に不安と後悔だけを持つべきはない。
「これからできる」という希望を持たなければいけない。

神様だに、長い間うまくいかなかった難しい課題です。
紆余曲折があったとしても、これから私たちも必ず神様のように成し遂げればいいのです。

今日の集会を通して、そんな結論に、私なりには至りました。

よろしければ1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ
にほんブログ村

【お勧め記事】
関連記事
スポンサーサイト



がっちゃん

同咸です。

初めまして。

第一・第二祝福の成就が直接主管圏に入る為の人間の責任分担であることを、原理講論から読み取ることが出来ます。当然、直接主管圏に入るまでは堕落する可能性があるということになります。これは、人間の責任分担である為に、真の御家庭も例外ではありませんし、祝福家庭も当然です。例え個性完成を果たしても家庭完成が自動的に成就されるわけではありません。
堕落前のエデンの園であっても成就されなかったことを思えば、現代の堕落世界の環境圏で成就しようとすれば、本当に至難の業といえます。

このことを前提に考えた場合、やはり食口、祝福家庭同士、助け合い励ま仕合、努力していくしかないように思います。そういう観点で、兄弟姉妹としての交流が本当に重要であると思います。
何か、2世の教育がうまくいかない、グレてしまった、教会に通っていない、親子関係が上手くいっていないとして、引け目に感じたり、相談するのに拒んだりしてしまうことは、本当にナンセンスなことだと思います。

極めて大変な道のりであり難しくて当然です。

この過程を通じて、親も子供たちも愛を成長させていけることを確信致します。

お互い頑張りたいものです。

2012年05月29日 (Tue) 21:10
-

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

2012年08月27日 (Mon) 12:39
kitasendo
Admin:kitasendo