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少しも変わりのない愛

kitasendo
tensi  

夕方から、ある方の自宅でゲストを迎えて講義をしてきました。
往復の車中、運転しながら、チャート原理講論を自分の声で録音したものをずっと聴いていた時のことです。

堕落論の一節。

神がその子女として人間を創造されたのちは、僕として創造されたルーシェルよりも、彼らをより一層愛された。事実上、ルーシュエルは、人間が創造される以前も、以後も、少しも変わりのない愛を神から受けていたのであるが、愛に対する一種の減少感を感ずるようになった。

私はこれまで、この部分を読む度に、前半部分に意識がとらわれていました。

つまり、
「神様はなぜ、僕よりも人間をより一層愛されたのだろうか? その差別がルーシェルに愛の減少感を抱かせた根本原因ではないのか?」
という疑問を感じてきたのです。

しかし、今日はなぜか、その後半部分に意識がとまりました。

「神様は、人間を創造される以前も以後も、少しも変わりのない愛でルーシェルを愛しておられた」
とは!

少しも変わりのない愛

神様の中では、愛は全く変わっていないのです。

長らく僕しかいなかった期間には、神様はその僕を最も愛されたのでしょう。
しかし一旦、我が子としての人間を創造されれば、神様の愛が否が応でもその子女たちに流れるのは当然です。

ところがその一方で、かつて愛してきた僕たちへの愛は全く変わらなかった。

考えてみると、これはかなり凄いことです。
さすが神様だなあ。
この「変わらない」というところが、やはり神様です。

私たちは、これまでどんなに愛した対象があっても、ある時、より愛する対象が出てきた時には、かつての対象への愛が減ってしまう。
無関心になったり、さらには忘却してしまったり。

それでは、かつての愛の対象は「愛の減少感」を感じるどころではなく、まさに「愛の減少」そのものです。

神様もそうなってしまえば、ルーシェルが、
「あなたの愛は確かに以前よりも減少した」
と批判したとしても、反論することができないでしょう。

しかし、神様の愛は以前も以後もまったく変わっていないのですから、その点において、神様が批判されるべき内容は何もない。

状況が変わっても、神様の愛は変わらない。
対象が変わっても、神様の愛は変わらない。

ここに、「愛の主体」としての神様の確固たる姿があるなあ、と今日は妙に感心したのです。

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Admin:kitasendo