信仰は小さく考えなさい
昨日は「人生の視野を広げなさい」と書いたのですが、今日は反対に「小さく考えなさい」という内容です。
清平の大母様のお話を聞いていると、いろいろ考えさせられます。
「絶対信仰」
と言うと、どんなイメージを抱くでしょうか。
どんな無理難題も絶対にできると信じて、決して諦めず、不屈の信念を持ってやり抜く。
「絶対」という言葉は、それほどに強い印象を持っています。
しかし、大母様は、
「最初から大きく考えないで、小さく考えなさい」
と言われるのです。
絶対信仰の出発は、
① 礼拝
② 敬礼
③ 十一条
の3つなのです。
余人がとても及ばないような凄い精誠条件を立てるより、この3つを誠実に実践する。
そのほうが、結果的に生活が良くなると、大母様は言われます。
徹夜で祈祷したり、長期断食をしたり、超人的な精誠条件を立てながら、身の回りを振り返ってみれば、家族の食事はなおざり、洗濯物は散らかり放題、家の中はホコリだらけ。
それでは却って、家族の関係は悪くなるというのです。
それよりは、毎週日曜日には欠かさず礼拝に出席し、安侍日の早朝には敬拝を捧げ、毎月きちんと十一条を捧げる。
そうすれば、必ず夫婦の仲も親子の仲も良くなっていくはずだ。
とは言え、この3つも欠かさずやろうとすれば、決して簡単なことではありません。
礼拝も、事情ができたり気分が悪ければ、つい休んでしまいます。
「1回くらいはいいか」
と思うのです。
ところが、サタンも3回くらいまでは黙ってみていますが、4回続けば、ぎゅっと条件を掴んで主管してくるようになります。
すると、ますます礼拝に出られなくなるのです。
敬拝も十一条も、同様です。
早朝に起き出すのは辛いことですし、経済が逼迫してくれば十一条にも負担を感じるようになります。
私自身も、この3つが完璧にできているとは言えません。
この3つを真面目にしないで、時々、信仰的な大冒険をしようと考えたりすることがあります。
そういう大冒険を自分も周囲も「絶対信仰」と考え、賞賛したりするのですが、「絶対信仰」の本当の出発は、一見「小さいこと」と思われるものの中にあるのです。
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