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人間の責任分担と神様の愛

kitasendo
sozo

なぜ人間にだけ「責任分担」を神様はお与えになったのか。
それについて、原理講論の「創造原理」には、2つの理由が挙げられています。

① 神様の創造性に似る
② 万物の主管者という資格を得る

この2つともに、神様の素晴らしい意図が感じられます。
しかし、どことなく物足りないという思いが、昔から拭い切れないのです。

「何が物足りないのだろう?」
と考えても、自分でもはっきり分かりません。

ところが最近、文先生のみ言葉集を読んでいると、次のようなみ言葉に遭遇し、それまでの心の霧がさっと晴れたような気がしました。

「どことなく物足りない」
と感じていたのは、
神様の愛
という言葉がなかったからのようです。

なぜ責任分担を与えたのでしょうか。それは、人間に無限で高貴な価値を賦与するためであり、神様の創造の偉業に加担させるために与えたのです。
もし人間に責任分担を賦与していなければ、人間は神様の愛に相対できる対象の位置に立つことができません。神様が100パーセント造ってあげてはいけないのです。95パーセントは神様が造り、5パーセントは人間自身が責任をもつのです。そうしてこそ、100パーセントを満たすにおいて、協力者として同等の位置に立つことができるのです。そうすることによって、絶対的な主体である神様の前に、堂々と相対的な資格を備えた位置で愛を授け受けできるのです。このようにして愛の理想を形成することができます。
責任分担がなければ、私たち自体では、神様の愛の理想を対等な位置で受けるにふさわしい威信を立てることができません。威信を立てることができないというのです。
ですから、神様は、人間に神様の愛を受けることができる威信を立ててあげるために責任分担を設定されたのです。
(1986年3月16日)

これを読むと、神様が人間に責任分担をお与えになったのは、何よりも「愛」に関連した理由だったのです。

神様が願ったことは、とにかく、自分の愛を100%完全に受けてくれる対象としての人間になってほしかった。
神様ご自身の愛は、何ものにも代えられないほど絶対的に素晴らしいものなのですが、それがどんなに素晴らしいものであっても、完全に受け取ってくれる対象がいなければ、二束三文、無価値に等しいのです。

神様の絶大な愛を完全に受け、さらにそれに相応しい美を返す存在となるために、神様はご自身の創造に人間を加担させた。

神様にとっても、創造は「偉業」だったのです。
これほど大変で、神様の叡智と能力を総動員させるべき作業はありませんでした。

それほどに大変な作業に着手しようと決意された理由は、たったひとつ。
ご自分の中に無限に溢れ出る愛を受け止めてくれる対象がほしかった。

私にとっては、神様の創造性に似ること、万物の主人になるという理由以上に、
「神様の愛の前に、堂々たる相対になる」
ということが、もっと神様を身近に感じられる気がします。

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