神様のデッサン
いつの間にか半世紀を越えた自分の人生を振り返ってみると、
「人生というのは、自分自身でもどうしようもないものだな」
と、つくづく思います。
「こうなりたい」
と思っても、なかなかその通りにはならず、反対に、
「こんなことにはなりたくない」
と思ってもまた、その通りにいかないことが多いものです。
思い通りにならなかった最大の事件は、私にとって、妻の早すぎる聖和(他界)でした。
自分の身に、よもやこんな運命が降りかかってこようとは、まったく思いもしなかったことです。
原理講論の「予定論」には、
「み旨成就は相対的であるので、神がなさる95%の責任分担に、その中心人物が担当すべき5%の責任分担が加担されて初めて、完成されるように予定されるのである」
とあります。
人間の5%は小さいながらも貴重なものだとはいえ、やはり神様の95%は圧倒的に大きい。
私が男に生まれることも、今の時代、日本に生まれることも、こんな性格、こんな能力に生まれることも、基本的にはすべて神様の設計の中にあり、私は神様からもらったそれをもって生きていくのです。
「このような人生を生きてほしい」
という大まかなデッサンは、私がこの世に誕生する時、神様の中にあるのではないかという気がします。
私なりに「こう生きたい」「こんなことをやってみたい」と思っても、それが神様のデッサンと方向性が違えば、結局、いろんな出来事や事情から、うまくいかなくなる。
逆に、
「こんなことはやりたくない。これは自分には向いていない」
と思っても、いつの間にか、それをやらざるを得なくなるということもあります。
私は運命論者ではありませんが、生きれば生きるほど、神様の95%の大きさを感じざるを得ません。
私がこの妻に出会ったのも、その妻との間に、このような息子娘を持ったのも、大きな運命だと思います。
自分の好き嫌いとはまったく別次元のものです。
その相手のゆえに、自分の運命がどのように進もうとも、もはや「一蓮托生」です。
その運命の中で最善を尽くせるかどうか。
それだけが、自分の責任分担です。
今夜からまた、静岡に向かいます。
どんなに遠くても、息子が行った大学ですから、この運命に抗うことはできません。
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