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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

神様が惚れる者になる

2012/03/31
家庭講座 1
son 

宋ヨンソプ総会長が本日初めて、我が教会を訪ねて下さり、原理復興会が開かれました。
昨夜はプロの整体師に頼んでマッサージをしてもらうほどに疲れておられるようでしたが、本日の講義は1時間半ほど、歓喜のエネルギーに溢れて、聴衆を魅了したのです。

自著のタイトルにもなっている
神様を惚れさせる
という話が、私の印象に強く残りました。

神様は愛の神様だから、どんな人でも差別なく絶対的な愛で愛される。
そんなふうに、普通には考えるものです。

しかし、「惚れる」というのは、平等に愛するというのと、ちょっと次元の違う話です。
平等ではなく、極めて個別的な愛の世界です。

神様は愛の方なので、どんなに不足で、神様の願いに適わないような者であっても、無条件に愛そうとされる。
その場合、対象の資質は絶対的な愛の神様にとって、大きな問題ではない。

それに対して「惚れる」という場合、対象が何か特別の資質を持つか、あるいは、特別の行動を取ることによって、神様の心を惹きつけるという、対象の内容が重要な要素となります。

夫が妻に対するときも、「愛する」のではなく、「惚れる」という段階に至ることが必要だな、と思います。

夫が妻に惚れている場合、妻が超高価なダイヤモンドを所望すると、夫は先祖伝来の山を売ってでも買ってやりたくなる。

愛してはいるが惚れてはいない場合、
「それはちょっと高すぎるから、もう少し手頃な、こっちにしたらどうか?」
と、安手なもので済ませようとする。

神様がある特定の人間に惚れると、どうなるか。

神様はご自分が所有しているものの中で、最高のものを惜しげもなく与えたくなる。
人間が願うものは何でも与えたくなるし、与えても与えても、もっと与えたくなる。

人間がそのようになると、どんなことが起こるか。

自分の息子が、こんなよくできた女性がいるのかと思えるような嫁にめぐり逢うようになる。
その嫁が産んだ孫が、思いもしない才能をもって、一国の大統領にでもなり得る人物になる。

それが、神様の祝福というものです。

今日は、総会長の復興会が始まる前、息子を静岡に送り出しました。
これまで2度に亘って車で往復してやったのですが、さすがにこれ以上は事情が許さない。
朝早く、おばあちゃんと一緒に駅まで送り、息子は1人、電車に乗り込みました。

残された私は、心の中がぽっかりと空洞になったような気持ちです。
何も死んでいなくなったわけでもないのに、じんわりと寂しさが心の中に満ちてきます。

最後の1年間は、息子のことで随分と心配が多かったのですが、振り返ってみれば、この息子によって私の心は想像以上に大きく解放されてきたのを感じます。

彼の私に対する態度は、私が私の父にとってきた態度とまったく違うのです。
私にじゃれつくし、何かとちょっかいを出すし、私の愛を試すし、私の欠点を遠慮なく指摘するし、そうかと思えば、私の腕の中に顔をうずめて眠ったりもするのです。

「こういう息子がいなくなったら、お父さん、寂しくなるだろう?」
と、先日来何度か言っていましたが、悔しいけれど、まったくその通りになりました。

家元を離れれば、もっと心配も増えるのですが、私自身が「神様が惚れる者」になる努力を、これまで以上にしなければならないと思います。
私がそういう者になればなるほど、神様の祝福は息子に流れていくだろう。

本当に、神様の祝福が息子の人生に溢れてほしい。
そう願う、私はごく普通の父親です。

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Comments 1

There are no comments yet.

詠み人知らず

成る程、これが「神様の祝福」の本当の姿。

とても素晴らしい内容だと思いました。

ここに何か重要なポイントがあるように思います。

2012/04/01 (Sun) 15:54