息子からサタンを分立させる父親
神のみ旨に対するアブラハムの心情や、その絶対的な信仰と従順と忠誠からなる行動は、彼をしてイサクを殺した立場に立たしめたので、イサクからサタンを分離させることができた。 (『原理講論 要約訓読チャート』p.141) |
原理教室の中では、チャートの一部を全員で一斉に大声で訓読する「全体訓読」をした後、さらにその中の一文だけを選び出し、それを繰り返し訓読する「集中訓読」をします。
今日も参加者に集中訓読を指示しながら、私自身もどこを訓読しようかと、何気なく選んだのが上の箇所でした。
最初は深く考えもせずに訓読し始めたのですが、何度か訓読した時、はっと驚いたことがあります。
アブラハムは象徴献祭に失敗することによって、サタンの侵入を受けました。
そのサタンを分立して、摂理の使命を息子イサクに継承させるために、神様はアブラハムに、
「息子を燔祭として捧げよ」
と命じます。
アブラハムはまさに「絶対的な信仰と従順と忠誠」によって、その命に従おうとします。
しかし実際には、彼がそれを断行しようとした直前、天使が現れて阻止したのです。
そのお陰で、イサクは殺されずに済んだばかりか、殺したと同等の条件を認められて、イサクからサタンが分立された・・・。
私が何にはっと驚いたのか。
息子からサタンを分立するために父親に要求されるもの。
それが、ここに明記されているのに気がついたからです。
① 神のみ旨に対する心情
② 絶対的な信仰と従順と忠誠からなる行動
父親が神のみ旨に対して、どれほど徹した姿勢を持っているか。
神の命令に対して、どれほど従順であり、忠誠であるか。
その姿勢によって、息子からサタンを分立させることができるというのです。
もちろん、大抵の場合、息子の命を父親の手ずから殺めろというような命令は来ないでしょう。
ただ、どのような命令が来ようと、それに従う従順と忠誠とが試験されます。
それができない分に応じて、父親に対しても息子に対しても、サタンはその主管権を要求するでしょう。
この御言に出会ってから、いろいろ考えていると、親の責任には大きく2つの面があるような気がしてきました。
第一は、子どもの霊人体を成長完成させるために援助をすること。
第二は、子どもに影響を与えているサタンを分立してやること。
第一の責任を果たすためには、世間一般でもいろいろなアイデアがあります。
愛を与えること。
自尊感情を高めてやること。
原理が内在化されるように躾けること。
サタンの存在しない、本来の世界ならこの第一の責任だけで十分かも知れません。
しかし、復帰途上にある現状では、第二の責任も大いに必要ではないでしょうか。
そのためには、父親自身に真面目で真剣な信仰の姿勢が必須です。
父親自身からサタンを分立しないのに、息子からサタンを分立することはできないからです。
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