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原理本体論の時代へ

kitasendo
しんぱん 

昨日は、第29回の愛勝日。
天正宮では一昨日の元旦行事に続いて、愛勝日の記念式典が持たれたので、インターネット中継で視聴しました。

文先生の雰囲気は、最初からただならぬものでした。

同時通訳を通してなので、理解できた御言は曖昧で不正確かも知れませんが、かなり強い叱責の言葉が続いたのは確かです。

「先生が食べるものも食べず、監獄に入って血を吐いて闘っているとき、皆さんは十分に食べ、伝道もしなかった」
「先生の家庭の血を吸って、皆さんの家庭は生きてきた」
「一世は天国に行けたとしても、二世三世たちは天国に行けないかも知れない」

そのようなことを何度も言われながら、
「これまでのような生き方ではいけない。これから変わるという人は、両手を上げて誓いなさい」
と促されたりもしました。

午後に予定されている街頭パレードの時間が迫ってくるので、幹部の人たちの心は慌ただしくなってくるのですが、文先生は、
「パレードなんかよりも、この御言のほうがもっと重要だ」
と、なお話されようとする雰囲気でした。

文先生が本当に言いたいことは、この百倍もあったかも知れません。
しかしそれをすべて言ってしまえば、私たちの行く道はなくなった可能性があります。

私たちなりの古い習慣性を急速に脱がなければ、この時代的転換についていくことができない。
私たちの現時点は、とても切迫しているのを感じます。

イエス様は、
新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れよ
と言われました。

イエス様が来られたときは、それまでの(旧約)時代が審判されるときでした。
再臨主が来られたときは、それまでの(新約)時代が審判されるときでした。
そして今、先天時代から後天時代へ移り変わるときは、それまでの(成約)時代が審判されるときではないか。

審判を避けるためには、古い習慣性を捨てて、新しい時代に順応しなければなりません。
現時点は、蕩減復帰時代圏を抜け出し、原理本体論の時代に入っています。
絶対性を中心に、私たちが本来の姿を早く取り戻さなくてはいけない切迫した時代だという感じがします。

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Admin:kitasendo