「お嫁時代」の使命
文先生が天暦を宣布されて、3年目を迎えました。
本日は、天基3年天暦1月1日です。
午前零時に文先生が揮毫された今年の年頭標語は、
「天地人참(真の)父母 勝利解放 完成時代」
です。
本日は朝8時から年頭の記念行事が休みなく続き、先ほど(午後3時前)午餐会が終わったところです。
午餐会では、世界各国からの祝賀のエンターテイメントが次々に披露されました。
その中で、文家に嫁いでこられた夫人たち5人によるグループ「お嫁時代」の歌と踊りが特に私の印象に残りました。
5人のお嫁さんの中で、文亨進世界会長の令夫人である李妍雅(イ・ヨナ)女史が、短い挨拶をされました。
その中で、
「私たち『お嫁時代』は、神様とご父母様をお喜ばせすることが使命と思っております」
と言われたのです。
もとより、エンターテイメントはすべて、観る人を楽しませ喜ばせることが目的です。
しかし、今日のような特別な場では、エンターテイメントの意味をもう少し深く感じさせられます。
それゆえに、この三代祝福のみ言に従って、人間が神の国、すなわち天国をつくって喜ぶとき、神もそれを御覧になって、喜ばれるのである。 それゆえに、人間を中心とする被造世界が存在する目的は、神を喜ばせることであった。 (「原理講論」要約訓読チャート 3時間用 p.24) |
私たちはすべて、神様の目的によってこの世に誕生したものであり、その限りにおいて、等しく「神様を喜ばせる」という存在目的を持っています。
ただ、その「喜ばせ方」は存在者によって千差万別でしょう。
「神様を喜ばせたい」という本性は、私たちの中に普遍的に内在しているはずです。
しかし堕落することによって、その本性が損傷し、そのような心が自然に湧き上がらなくなっています。
それで、仕方なく「自分のため」に生きるしかないのです。
神様の復帰摂理は、私たちの中に本来の「神様を喜ばせたい」という本性を取り戻すことを目指しているといってもいいでしょう。
それが段階的に、部分的にでも取り戻された姿を見れば、神様は喜ばれ、傷んだ心が慰められるだろうと思います。
「お嫁時代」の夫人たちの歌と踊りは、決して洗練された妙技とは言えないものでした。
子育てもしながら、公務もあれば、専門的に練習することもできないでしょう。
しかし「ご父母様をお喜ばせしたい」という心が感じられました。
また、午餐会の最後に登場した「鮮鶴合唱団」にも、感慨深いものがありました。
この合唱団は、数年前にお母様(韓鶴子総裁)が来日された折に、
「よく練習して、日本で一番の合唱団になり、可哀想な人たちを慰問もしてあげなさい」
と言って、文先生の「鮮」の字、ご自分の「鶴」の字を下賜され、命名してくださったものです。
その合唱団が期待に違わず、素晴らしい合唱団に成長し、その姿を韓夫人の前に披露したとき、それが命名者の最高の喜びになったことは想像に難くありません。
私たちは神様からただ単に創造されたのではありません。
「祝福」とともに創造されたのです。
その意味は、
「私が祝福して『そのようになれ』と願った、その姿になってくれ。そうすればあなたを造った甲斐があり、私の喜びになる」
ということです。
私も「祝福」をいただいた者として、どのような喜びを神様に捧げたらいいか。
私に対して「そのようになれ」と願われたその姿を、明確に思い描いて、それに向かわなければなりません。
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