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共同的な愛をもつ「生活の主人」

kitasendo
センター試験 

センター試験の初日。

受験する息子は、昨夜からマフラーを探していました。
何年か前に買った茶色のマフラーがあるはずなのに、どこにも見つからないというのです。

マフラーは他にもいくつかあるのですが、それが気に入っていたのでしょう。
家中、心当たりはすべて探したのに、結局見つかりませんでした。

試験会場は隣町の大学なので、今朝は5時起きです。

身支度をした息子を見ると、別のマフラーを巻いています。
濃い緑の地に明るい緑のストライプが入っているものです。
それは、10年前に聖和(他界)した妻のマフラーです。

「これは誰のマフラーだっけ?」
と息子が聞くので、
「それはお母さんが使っていたマフラーだよ」
と答えました。

「ふーん・・・」
と言ったなり、息子はそれ以上何も言いませんでした。

高校から試験会場までバスが出るので、6時前には息子を高校まで車で送ります。

今まで霊界は地上と関係を結ぶことができなかった。しかし今や、霊界自体が統一教会の生活圏に接することのできる段階に入った。神様は妄想的で、抽象的な方ではない。常に我々と共にある「生活の主人」である。共同的な愛を中心として、共同的な生活をしておられる神様である。
(『天地の大道』87年9月13日)

学校の駐車場について車を止めた時、一言、息子に言いました。

「できれば、今日はそのマフラーをずっとしたままでいなさい。お父さんはここまでしか一緒について来てやれないけど、お母さんはここから試験会場までずっと一緒にいてくれると思うよ。分からない問題に出くわしたら、お母さんに聞いてみなさい」

「なんだ、お父さんはここまでしか来れないのか。情けないお父さんだ」
と冗談めかした言葉を残して、息子は車を降りていきました。

普段はあまり母親のことを意識せずに生活している息子だとは思いますが、母親は息子がいよいよ大学受験をするのですから、心配もし、気を揉んでもいるだろう。

霊界からでは弁当も作ってやれません。
でも、それならせめて試験会場まで一緒について行って、寒気にあたって喉を痛めないように守ってやり、緊張から腹痛でも起こさないように守ってやりたい。
そんな気持ちがあるのではないだろうか。

そういう気持ちは、私たちの真の父母であられる神様もまったく同じでしょう。

私たちがなにか困ったときだけ助けを求めて祈って、それを喜ばれる神様ではない。
正しく生きれば導き、間違って生きれば罰を与えると考え、観念的に接することを喜ばれる神様でもない。

共同的な愛を中心として、共同的な生活をしておられる、私たちの「生活の主体」であるのが、実際の神様だというのです。
これまではそのような神様と生活圏を接することが難しかったけれども、今や、それが可能な時代に入ったと、文先生は言われるのです。

マフラー一つにも母親の愛がこもっていると感じようとすれば、そのような心から神様にも通じる生活圏が開かれていくのではないだろうか。
今朝は、そんな気がしたものです。

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Admin:kitasendo