私は神様を憎んでいないか
私が在米中、40日修練会に参加したことがあります。
その時の講師は、韓国教会の長老の一人で、原理講師一筋の方でした。
講義の中で、その先生が語られた一言が今でも印象に残っています。
「直接主管圏というのは、神様と1日24時間一緒にいるということだ。君たちは本当にそうなりたいと思うか? 神様と始終一緒にいるというのは、どれほど大変だろうか」
当時の私は(今だにそうですが)とてもそんな基準ではなかったので、
「そう言われれば、そうかも知れないなあ」
と思ったものです。
文亨進世界会長も、似たようなことを証ししておられ、深く考えさせられました。
(「トゥデイズ・ワールド・ジャパン」天暦11月号「絶対的な愛」)
もう1年近くになるでしょうか。
文会長夫妻は、ずっと文先生に随行し、世界を移動する生活を続けておられます。
しかし、その生活が想像を絶するほど大変だというのです。
22時間以上訓読会をされ、1時間だけ休んでまた訓読会を再開され、それが終わると、12時間船に乗られる。
船を降りると、次はヘリコプターに乗って、現地に到着するや否や会議をされる。
このようなスケジュールについていける人は誰もいないので、お付きの人たちはローテーションで随行しなければ、体がもちません。
文会長も例外ではないのです。
訓読会が3時間、4時間と続き、6時間を超えると、疲れて倒れそうになります。
12時を過ぎれば、お腹もすいてきて、
「訓読会が早く終わったらいいのに」
という思いが浮かんできたりします。
「私たちは永遠に神様を愛したい」
と言いながら、6時間愛することも難しいのを見ると、
「私は本当に神様を愛しているのだろうか?」
という自問が生じます。
それだけではありません。
文会長は、率直に、
「私は本当に神様を憎んでいる、と感じる」
と告白されるのです。
文先生に近く侍れば侍るほど、その方を恨むようになる可能性があり、否定的な心を持つ誘惑に陥る時間もある。
それを世界会長は体験されながら、とても警戒されているのです。
私は世界会長のように、身近に侍ってそのような体験をしたことはありませんが、ちょっと大変な状況になるだけで、似たような感情を心のどこかで抱くのを感じることがあります。
「どうして神様は(あるいは文先生は)、これほど大変なことを休みなく命じられるのだろうか? 私たちの現実をご存じないのだろうか?」
この感情は、神様を愛しているといえるものではなく、率直に言えば、
「私はそういう神様を嫌いです。もう少し現実を配慮して、優しくしてくださればいいのに」
と言いたい気持ちなのです。
創造理想復帰への神様の願いは強く、そのために復帰の摂理が激しくなれば、一緒に働く者同士でも感情の亀裂が生じ、怨讐関係にさえなり得ます。
しかしもっと深刻なことに、神様との関係でも怨讐関係になる可能性がある。
そうなれば、これは大変な窮地です。
「神様はこうあってほしい」
「メシアはこのような方であってほしい」
そういう自分なりの願望やイメージが強ければ強いほど、私たちは現実の中で葛藤する可能性が高くなります。
どうもそういう願望は、私が主体で、神様やメシアを対象にする信仰だと言うべきでしょう。
聖書の中には、例えば、
「あなた自身を愛するように、あなたの隣り人を愛しなさい」
というような、やや優しめに響くイエス様の言葉もあります。
しかしその一方では、
「誰でも、父、母、妻、子、兄弟姉妹、さらには自分の命までも捨てて、私のもとに来るのでなければ、私の弟子となることはできない」
という厳しい言葉もあるのです。
「捨てる」という言葉は、もともとギリシャ語で「Meseo」。
「憎む」あるいは「嫌う」というような、かなり強い言葉だそうです。
「自分の命までも憎め」
と言われるのです。
他にも、イエス様は神殿の前で商売をしている人たちを見て腹を立て、屋台を蹴散らしたという記述もあります。
遠く離れた後世に、文字だけで読めば、さほど強くは感じず、
「さすがはメシアだなあ」
というくらいかも知れません。
しかし、イエス様がメシアだと公認もされていない状況でこのような行為に及べば、それを目の当たりにした人たちはどう感じるでしょうか。
これは並みの蛮行ではありません。
文先生にも似たようなところが多いようです。
信仰を立てて文先生の召命に応じて集まった牧師たちを前にして、激しく叱るだけでなく、本を投げつけたりもされる。
御言をよく分かってもいない人たちに向かって、突然「生殖器」の話をされる。
そばで見ている文世界会長さえ、ひやひやして気が気ではないと言うのです。
しかしそのような時、世界会長は、
「ああ、私は神様を愛しているというより憎んでいる」
と率直に認めながら、その上で、
「お父様の隣でこのような挑戦にずっと打ち勝たなければならない」
と自分自身に諭すのです。
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