み旨の核心
神のみ旨に対する予定を論ずるために、我々は、「み旨」とは何であるかということについて、先に調べてみよう。神は人間の堕落によって、創造目的を完成することができなかった。したがって、堕落した人間たちに対して摂理される神のみ旨は、あくまでも、この創造目的を復帰することにある。
「神の意志」
ということです。
神の意志は、創造目的を完成することです。
創造目的は神様の三大祝福を完成することですから、み旨とは結局、
① 個性完成者になる
② 理想家庭を実現する
③ 神のもとの人類一家族(天国)を実現する
の3つに要約されます。
神様のみ旨は永遠に変わりません。
私たちの側から言えば、私たちが生きる目的も、統一原理を学んで信仰生活をする目的も、このみ旨を完成することだと言えます。
これは、昔も今も、日本に住んでも米国に住んでも、全く変わりません。
「み旨」とよく似た言葉で、「摂理」という言葉があります。
緒論の解説から考えると、摂理とはみ旨を完成させるための方法、手段を言うのだということが分かります。
ですから、摂理は時代によって変わり得ます。
み旨は永遠に変わらないのに対して、摂理は時とともに変わる。
ですから、摂理それ自体は私の人生の目的にはなり得ません。
私の人生の目的は、きっちりと「み旨」に置かなければなりません。
ノアの時の摂理は方舟を作り、大洪水を乗り越えることでした。
モーセの時の摂理はエジプトのファラオを説得して、イスラエル民族を故郷カナンに連れ帰ることでした。
今の時代の摂理は、過去のいかなる時とも違います。
しかし、み旨は常に変わりません。
み旨の3つの中でも、核心は2番目の「理想家庭実現」です。
個性完成者となることもそれ自体が目的ではなく、理想家庭実現のために必要なことです。
また、人類一家族の理想も、理想家庭なくしては絶対に実現することができません。
神様の心の中では、み旨への思いがぶれたことはないでしょう。
しかし人間を通してでなければそのみ旨は実現できないために、神様はどれほどもどかしかったでしょうか。
理想家庭実現に向かって、人類の歴史はあまりにも紆余曲折してきました。
熱心な宗教者であればあるほど、かえって家庭を捨て、単身で孤独な修業の道を行く傾向がありました。
しかしそういう彷徨の時代を超えて、やっと今、み旨が何であるかが明確に分かってきたので、私たちは全身全霊を傾けて、
「理想家庭実現」
に向かわなければなりません。
それで、原理講論の一番最初に、
「神の二性性相」
という話が出てくるのです。
これは、理想家庭実現のための、最も核心的な教えだと言えます。
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