絶対愛の完成条件
国家的メシアである太田洪量先生が、講話の中でこういう話をしておられます。
私にも愛の課題があります。自分の子どもと他人の子どもがいた場合、自分の子どものほうをより深く愛していたら、愛の完成はないのです。 子供同士が喧嘩したら、親は自分の子どもに味方する。これでは、絶対愛とか絶対平和は完成できないのです。 これは大変な道です。どうやってこの課題、愛の完成する道を行くのか。 (トゥデイズ・ワールド・ジャパン 天暦10月号) |
そして、この大変な道を、文先生は徹底して生きてこられたというのです。
例えば、本体論特別修練会の講師をされる劉正玉先生は、
「お父様(文先生)は、子女様方に対して、直接指導するとか、御言葉を与えるということはまったくありませんでした」
と証言しておられます。
文先生はカイン(教会員)を愛して、アベル(ご子女様)を犠牲にされた。
これは蕩減という意味もありますが、同時に愛の完成の道でもある、というのが太田先生の言わんとするところです。
人間がこの道を行かなければ愛を完成できないのであれば、神様も同じ道を歩まれなければならないはずです。
そういう道を本当に辿って来られたのでしょうか。
天使は神の創造と、その経綸のための使いであり、「僕」であり、「仕える霊」であり、頌栄を捧げる存在として創造された。 (原理講論「堕落論」第2節 堕落の動機と経路) |
神様にとってのアベルは人間(アダムとエバ)であり、カインは天使だと考えられます。
そうすると、神様がご自身の愛を完成されるためには、人間よりも天使をより愛さなければなりません。
上に引用した堕落論では、天使創造の目的は神の創造と経綸のための協助者にするためであったと読めます。
しかし、愛の完成という観点から考えると、天使創造の目的はそれだけではないような気がします。
神様がご自身の愛を完成させるために、天使はどうしても必要な存在であったのではないかということです。
神様は一番最初に天使たちを創造され、最後に人間を創造されるまでの悠久なる期間、天使たちを最も愛されたのでしょう。
ところが、人間をご自身の子女として創造された後は、
「僕として創造されたルーシェルよりも、彼ら(アダムとエバ)をより一層愛された」
と、講論にあります。
これが原因となって、ルーシェルは神様の愛に対する一種の減少感を感じるようになったのです。
もちろん、神様は人間を創造される以前も以後も、まったく変わりない愛で天使を愛されたとはあります。
しかし、そうであったとしても、ルーシェルが愛の減少感を感じたということは事実です。
太田先生の言われたことからすれば、神様はルーシェルをアダムよりももっと愛さなければならなかった。
そうしなければ、神様の愛は完成しないし、またそうすればルーシェルが愛の減少感を感じることもなかったと思えます。
しかし、親の心として考えれば、僕よりも子女をより愛するのは、ごく当然のことだといっておかしくないでしょう。
この点をどのように整理したらいいのか、正直なところ、私にもはっきり分かりません。
神様に責任があるのか?
減少感をコントロールできなかった天使が悪いのか?
あるいは、天使を主管できなかったアダムの初(うぶ)さが咎となったのか?
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