手放しなさい
ホ・オポノポノが私の教会でも少しずつ広がっています。
私が初めて出会ったのは今年の春でしたが、私は数カ月間、誰にも話さず、一人で密かに実践を続けていました。
10月に一度礼拝の説教を担当した時、初めてその基本的な考え方を紹介しました。
すると、それに興味を持った婦人たちが1人、2人と現れ、
「詳しく知りたいので、本を貸してほしい」
と言うので、貸し出しを始めました。
ホ・オポノポノはハワイが発祥の地です。
私はハワイについて、詳しいことはほとんど知りません。
地理的には太平洋の真ん中で、キリスト教の宗主国ともいうべき米国の1州ですが、精神的にはむしろ東洋に近いのではないかという気がします。
聖書を見ると、神様は人間に万物を治める権限を与えられました。
それで人間は万物の上に立ち、理性で万物を分析して、それを人間生活に合うように力で変えようとします。
しかし東洋思想は、概して人間と万物とを画然とは分けず、むしろ調和して生きようとします。
理性と力を重要視せず、むしろできる限りそれらの対極にある「無」を目指そうとします。
「無」(=ゼロ)のポイントは、何もないようでありながら、その実、もっとも豊かさに満ちたところ、すべてのものが手に入るところです。
量子力学ではそこを、
「ゼロ・ポイント・フィールド」
とも呼んでいます。
これはまさに東洋思想でいう「無極」です。
ホ・オポノポノも、
「持っているものをすべて手放せ」
と言います。
自分の中が空になればなるほど、大いなる知恵が降りてくるというのです。
私はこういう考え方が、この教会の婦人たちにも有意義だと感じています。
この教会の日常には、御言葉があふれ、日々遂行すべき使命・責任があふれています。
私たちはあまりにも多くのものを自分の内部に抱えすぎているように感じる時が多いのです。
文先生は、
「御言葉を絶えず訓読し、それと一体となりなさい」
と言われます。
しかしそれは、
「御言葉を御言葉として、自分の中にたくさん抱えなさい」
ということではないように思います。
重要なことは、御言葉と一体となることであり、そのためにはむしろ私の中を空にすべきではないでしょうか。
御言葉と責任があふれる日常の中で、いかに私自身を空(無)にするか。
この点において、ホ・オポノポノはとても深い示唆を与えてくれると私は思っています。
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