コンセプター正観さんを偲ぶ
小林正観さんがこの10月、62歳で他界されたそうです。
思いがけなく早い死です。
どんな肩書きで呼ぶのがいいのか分からないほど、いろいろな肩書きのある方ですが、その中では、
「コンセプター」
というのが最もふさわしいような気がします。
コンセプターとは、「基本概念提案者」ということです。
私は小林さんからいくつもの人生の基本的コンセプトを教えてもらった気がしています。
例えば、
「競わない」
という生き方。
競って誰かに勝つという生き方ではなく、誰かに喜んでもらうという生き方を選んでみる。
人生の「使命」とは、「誰かに使ってもらう命」。
「競争」ではなく、「共生」。
ここで言う「共生」は、人同士だけでなく、すべてのものとの「共生」です。
農家の人がスイカを食べてしまうカラスと共生するという指導を読んで「なるほど」と思い、私も実践してみたことがあります。
(「カラスとの約束」)
「2割はカラスさんにあげますから、8割は残すようにして下さい」
すると、その夏、その通りになったのです。
それ以来、私はカラスに対してぐっと親近感が増しました。
あるいは、
「こだわらない」
という生き方。
小林氏はお釈迦様の教えを「執着しない」という一点から読み解き、それが幸福の大きな条件になると強調しました。
頑張る人は頑張った分だけ、
「頑張っただけの結果が出てこなければ」
というところに執着しやすくなります。
執着しないというのは、文先生の教えである、
「愛は、与えて忘れなさい」
ということに通じます。
振り返ってみれば、私もずいぶん執着する人間だということに気づきました。
以来、少しづつ執着が減ってきたような気がします。
「子どもはなぜ思い通りに育たないのか?」
「頑張っているのに、なぜ状況が好転しないのか?」
「年下の者がどうして威張るのか?」
そういうこだわりに苦しむことが減ってきました。
もう一つ、
「感謝する」
という生き方。
今手元にないものを手に入れようとする前に、今手元にあるものに感謝する。
引き寄せの法則が正しいなら、感謝する人には感謝すべきことが引き寄せられてくるはずだ。
努力や向上心というような徳を否定するのではありませんが、それらの根底にあるものが「感謝」ではないかと思うようになりました。
小林さん、62歳の生涯はちょっと短すぎるようにも思います。
こだわらない人は、もっと長生きするに違いないと思っていたので、意外な感じがします。
しかし、おそらくは、
「長く生きるか、短く生きるかは、大したことではない。62で死ぬのならそれが寿命だ。やるべきことをやったから次の段階に行くのだろう」
と、今生に感謝し、こだわらずに、逍遥と逝ったのではなかろうかと想像します。
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