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自分の基準を相手に強要すれば

kitasendo
sympathy 

また、自分の基準としているものをもって、人にまで強要する人がいますが、それは結局、相手に悪影響を与えることになります。
人に厳しく対すると、その人にかえって威圧感や不信感を与えることになります。
自分の基準を大切に持ったまま、相手の基準を尊重しなければなりません
謙遜な心で相手の価値を認め、相手を主管しようとするのではなく、仕えなければなりません。

私たちはお互いに相手を通して愛を生み出していかなければなりません。
祈って神から愛を受ける時代ではなく、愛を実らせ、愛の円形運動をすべき時ですから、相手を尊重しなければならないのです。
自分と基準が全く同じで個性の合う人は、そんなに多くありません。
自分の基準ですべてを見ていたら、その人の路程は寂しいものとなってしまいます。
先生はいつも、自分の基準で対するのではなく、友達のように対してくださいます。
ですから相手が喜び、先生ご自身が喜びにあふれておられるのです。

家庭においても同じです。
父母の基準で子どもたちに対してはいけません。
子どもの立場に下りなくては、子どもの心を主管することはできません
父母は自分を下げて、子どもたちを主体者として対さなければならないのです。
夫婦もそうです。
お互い自分をなくし、相手を貴重に思うところから愛の円形運動が始まります。
自分を主張するのではなく、自分の価値を秘め、相手を主体視することが重要なのです。
(李耀翰牧師)

私たちは、
「相手のために」
「相手を貴重に思おう」
と、頭では考えているのですが、この動機を純粋に持つことも維持することも容易ではないのを、しばしば経験します。

子どもが良くないことをしたので、子どものために諭してやらなければと思います。
ところが、子どものためにと思って言ったことに、子どもが反発する。

すると、つい、
「何よ、その言い方は! あなたのために言っているのに!」
と激昂してしまう。

親は子どものためにと思って言ったつもりなのに、子どもの反応によって憤るとは一体どういうことでしょうか。
相手によって自分が変わるということです。

結局、100%子どものためという動機ではなかったということです。
自分の基準を持って、相手にその基準を強要していると言われても仕方ありません。

どうもこれは、我々の多くが抱えている悪い癖(堕落性)のようです。

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李一穂

「相手を貴重に思おう」大切な教えに感謝します。

2011年11月28日 (Mon) 22:42
kitasendo
Admin:kitasendo