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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

それが家族というものだ

2011/09/27
生活日記 1
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週に2回、娘が塾に通うので、私が車で送り迎えをします。
帰りには近くのマックに寄ってポテトを買い、2人で食べながら帰ったり、ささやかな楽しみもあるのです。

今夕、帰りの車の中で、娘が、
「最近、おばあちゃんの物忘れがだんだんひどくなって困るのよ」
と言います。

この前も近くの先生のところに琴を習いに行った時、先生が、
「次の練習は今度の土曜日がいいんですが」
と言うと、おばあちゃんは、
「土曜日は学校の部活があるかも・・・」
と心配して口を挟んだというのです。

「部活は3年の1学期で卒業したのに、いつまでも部活が続いてると思い込んでるのよ」
と、娘。

「部活が2年間も続いたから、その時の記憶が変わらないのだろうね。年をとると、頭の融通もきかないよ」

確かに、この1、2年、母の物忘れや思い込みが目立って進展しているように見えます。
今日買ってこなかった食材を、買ってきたと思い込む。
あるいは、逆もまた。
そういうことが、結構頻繁にあります。

4、5年前はパソコンを習得しようと教室に通ったり、私に教わったりしてやりかけましたが、とうとう身につかないまま沙汰止みになりました。
その頃はまだ意欲もありましたが、今となってはもうとてもできそうにありません。

「なにしろ、81だからね。物忘れは当然だし、仕方ないよ。むしろ、いたわってあげたり、助けてあげないといけないだろうね。大切なおばあちゃんだからね」

そんなふうに娘と話しながら、家族というのはこういうものだろうなと、改めて考えました。

家族というのは、いつも誰かが年取っている。
いつも誰かが病気であったり、いつも誰かが幼くて誰かの世話を必要としている。

働き盛りのお父さんは、稼げない子どもたちのために一生懸命働く。
子どもたちもだんだん大きくなれば、年取ったおじいちゃん、おばあちゃんの世話をする。

いつも家族皆んなが元気はつらつで、誰の世話にもならずに暮らせるということはない。

それが「家族」というものだ。

その中で、お互いをいたわったり、いたわられたり、助けたり、助けられたりする。
もらうときには遠慮なくもらい、与えるときは惜しみなく与える。

そういうことを学べる家族になりたいものです。

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Comments 1

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ペナンの朝

それが愛の形・・?

こんにちは、お久しぶりです。碌に自分の記事も書かないのに、人のブログ覗いてはコメント入れるだけになってしまった、ペナンの朝です。

>家族というのは、いつも誰かが年取っている。
>いつも誰かが病気であったり、
>いつも誰かが幼くて誰かの世話を必要としている。

>誰の世話にもならずに暮らせるということはない。
>それが「家族」というものだ。

全くその通りだと思います。個人に於いても、それぞれが、それぞれの立場で、誰かの世話をしながらも、知らず知らずに誰かの世話になっている。それが愛の形なんだと思います。それがただ、人の世話をしていると思っている私、人の世話にはなっていないと思っている傲慢な私。世話をしていることに意識が行っても、人の世話になっていることにはなかなか意識が行かないんだなぁ~、と最近つくづくそう思います。

2011/09/28 (Wed) 11:24