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教育部長の講義日記

家庭連合の教育部長として、統一原理を講義し、思索する日々

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自分なりに考えない問題解決

ふあん 

もうそろそろ床に就こうとした深夜、1通のメールが入りました。

それを読んで、自分の重要な不作為があったことを悟り、
「この問題を、明日どう解決しようか?」
と思い巡らせ始めると、心配になってなかなか寝つかれなくなったのです。

こういうことは時々あるのですが、この時は少し冷静に自分を見つめてみました。
そこで分かってきたことがあります。

自分なりに解決策を思い巡らせるというのは、言うまでもなく、自分の頭を使っているのです。

「どうしたら、うまく解決できるだろうか?」
「自分のやり忘れを正直に認めて、急いでキャッチアップするしかないか?」
「事態が込み入ってきたら、どこかで言い訳をするしかないかも知れない」
「どういうふうに言い訳をしたらいいいだろうか? 言い訳ですまなければ、ウソの一つもつくしかないかも知れない」

こんなふうに、いろいろな解決策を探ってみて、うまい方法が見つからなければ、少し誤魔化すしかないだろうかなどと、碌なことは考えません。
そして、むやみに不安が膨れ上がっていくのです。

そこで、やり方を180度変えてみることにしました。
解決策を一切「考えない」ことにしたのです。

これは、先日の「
無思考の鍛錬」で書いたように、自分の頭の中を空にすることです。
頭の中の雑然とした考えの破片を整理し、できればそれをゴミ箱にでも入れて、すっきりとした頭の中に「神からの思念」が降りてくる余地を作ってみようということです。

放っておけば、次から次に思念は湧いてきます。
それをどのように止めればいいのでしょうか。

マントラを唱えます。

何らかの思念が湧いてきた時、
「それも一考してみるべきかも知れないが、後で考えて見ることにしよう」
と内心でつぶやき、マントラを唱えるのです。

マントラにはいろいろあるでしょうが、私はこのようにやってみました。
息を吸う時に、「ありがとう
息を吐く時に、「愛している
と唱える。

強制的にではなく、穏やかに、自分なりの思念を脇へ追いやり、無思考なマントラを唱えるのです。

これをしばらく続けていくと、次第に思念が減ってきて、それに伴い、不安も萎んでいくのを感じます。
「今から心配しても、どうしようもない。その時には、なるようになるしかない」
というような思いになっていきます。

自分で考えることに慣れている立場からすると、ちょっと無責任な感じもします。

しかし、そのようにしながら眠りにつき、今朝起きてみると、何だか気分が軽く晴れやかなのです。
教会に向かうときも、気分はさほど重くありません。

そして、その時になってみると、やはり、問題はさしたることもなく解決したのです。
神からの思念が降りてきて、絶妙なアイデアが思いついたわけではないのですが、自然体で対処することができました。
その後も、1日中気分は悪くありません。

「自分なりに考えなくても、問題は解決する。むしろ、自分なりに考えないほうがうまく解決する」
そんな感じがしました。

そして何より、気分がすっきりと晴れやかなのです。

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2011-08-26 * - [ 編集 ]

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2011-08-29 * - [ 編集 ]