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教育部長の講義日記

家庭連合の教育部長として、統一原理を講義し、思索する日々

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息子とともなる敬拝

father-son 

高3の息子には、私から見てちょっと変わった性癖があります。

娘は自分の部屋に好きなマンガのシリーズをきれいに並べているのですが、時々息子が忍びいって、そのマンガを全部逆向きに並べ替える。

私がノートパソコンで作業していると、向かいに座ってモニターを180度まで押し下げる。
「何だ!」と言って私が引き戻すと、しばらくしてまた押し下げる。

最近は毎晩、息子と2人で敬拝をします。
私が右側、息子が左側に横並びでするのですが、しばしば息子は始める前に右90度回って私の方を向きます。
それでは一緒に敬拝できないので、前に向き直させなければいけないのですが、この時の言い方に、私は苦慮するのです。

なぜかと言えば、息子は内心、自分の違和感のある行動に対して父親はどういうリアクションをするかということに、期待を持っているからなのです。
当然、気の利いたリアクションを期待しています。

ところが、私はこういう状況が得意ではありません。
息子の行動パターンは私の感性に合わないので、息子の期待に応えるのに相当なエネルギーを要するのです。

特に、疲れていたりして気持ちが重たい日には、何の愛想もなく、
「いつも同じことをしないで、ちゃんと前を向きなさい」
などと、全く面白みのない対応になってしまいます。

昨夜もそうでした。

息子は当然、落胆した感じで、その後は2人とも無言で敬拝を続けました。

すると、敬拝をしながら、
私は一体、何のためにこうして敬拝をしているのだろう?
という自問がわいてきたのです。

条件というのは、それが楽しいとか嬉しいとか、そんなこととは関係なく、とにかくやらなければならない。
そういう感覚が、私の身に染み付いているようです。

しかし息子はちょっと違うのです。

息子にとっての敬拝は、その時間が、実は父親とのコミュニケーションの時間でもあるのです。
毎晩一緒に敬拝しながら、たとえ言葉を交わさなくても、私との間に無言の対話を感じている。
1日1回、短い時間であっても、父親との精神的な絆を確認している。

条件は、確かに神様に向けてするものではあるでしょう。
しかし、息子にとっては、それとは違う、もう一つの目的があるのだろう。

敬拝をしながら、そんなことが思われてきました。

私はどうだっただろう?
私は、息子が私を見ていたほどには、息子を見ていなかった。
そして、疲れたときは、ただひたすら条件の回数を満たすことだけに心を向けていた。

その時の私の表情は苦虫を潰したような感じだったに違いなく、面白みも何もない苦行をしていたのです。
それを見て、神様はどんなふうに感じておられたのだろう?

敬拝ひとつでも、私は息子に何か大切なことを教えられたような気がします。

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* by ten1ko2
息子さん、可愛いですね。
愛されたいがゆえの行動なのだと思いますけれど。。。
ですから、お父さんとのコミュニケーションなんでしょうね。
それにしても、教育部長さんが葛藤されるということですから、性相はあまり似ておられないのでしょうかね。
奥様に似ているというわけでもないなら、そういう年頃ということでしょうか。
今後の展開に期待しちゃいます。。。

コメント






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2011-08-24 * - [ 編集 ]

息子さん、可愛いですね。
愛されたいがゆえの行動なのだと思いますけれど。。。
ですから、お父さんとのコミュニケーションなんでしょうね。
それにしても、教育部長さんが葛藤されるということですから、性相はあまり似ておられないのでしょうかね。
奥様に似ているというわけでもないなら、そういう年頃ということでしょうか。
今後の展開に期待しちゃいます。。。
2011-08-26 * ten1ko2 [ 編集 ]