サマーキャンプ講話後編「結婚相手の見つけ方」
先日のサマーキャンプでの講話(「結婚相手の見つけ方」)の後半部分です。
結婚相手をどのようにして正しく探し出すことができるか。
そのヒントは、文亨進世界会長の質問に答えて文鮮明先生が言われた言葉、
「神様の声は聞こえない。神様を感じるんだ」
という中にあります。
(「神の声は聞こえない」)
今から15年ほど前、私が清平の40日修練会に参加した時のことです。
恩恵はとても大きかったのですが、修練会が終わりに近づくにつれて、私の中に一つの焦りというか、欲心が出てきました。
「私はこの修練会で神様の声を聞きたい。私を神様が導いているという確信を持ちたい」
それで私は、役事の時も訓読の時も、取り憑かれた人のように自分の願いを神様の訴え続けたのです。
ところが39日目になっても神の声は聞こえてきません。
最終日になって閉講式も終わり、いよいよ修練所を出るという時になっても聞こえてはきませんでした。
一種、失意の念を抱いて、私は修練所をあとにし、帰国したのです。
「40日も間、必死に修練を受け、ひたすら祈ったのに、なぜ神様は一言も答えてくださらなかったのだろう?」
失意と疑念、さらには恨みまでが混ざった複雑な思いをかなりの間、私は抱き続けました。
それから10年ほどたった時。
私は再び清平の7日修練会に参加し、その後すぐ水沢里修練所の本体論修練会に参加したことがあります。
その時、私は思いもかけず、神様の声を聞いたのです。
いや、正確に言えば、声を聞いたのではなく、文先生の言われるように「感じた」のです。
「妻との関係については心配するな。先ず私(神様)との父子関係、すなわち、自分は神様の息子であるという観念をはっきりと持ちなさい。それはすべての始まりである。
三対象目的とは、誰もが先ず私(神様)との関係を結び、神様の息子娘であることを確実にわかってこそ、良き夫、良き妻、良き父母、良き子女になれるということである。
お前が私(神様)の息子であることを深く感じるまで導くので、信じてついてきなさい」
その頃、妻が昇華して5年ほどがたち、霊界の妻をなかなか感じることができないのが、私の一つの悩みでした。
私に臨んだこの言葉は命令調なのです。
私自身の言葉ではありません。
神様を感じることは、神様の声を聞くよりも、より一層神様に近いのです。
このように神様を「感じる」私自身を準備することが、私の結婚相手を正しく探す最善の道ではないでしょうか。
文先生が少年時代に神様の召命を受けた時、その願いを容易に受け入れることが出来なかったと言います。
そのようなある日、文先生はご自分の後ろに神様が来られ、温かいものを感じたそうです。
それと同時に、
「神のその苦痛の心情を分かってくれて、私は有り難い」
という神様の思いが感じられました。
それは声ではなく、直接感じたことです。
それで文先生は、その神様を苦痛から解放して差し上げなければならないという心になったと言われます。
「どの人を神様は私のために準備してくださったのか?」
ということが私の心に感じられるのはけっして容易なことではありませんが、そうなれば私は最高の相手を探し出せる可能性があるでしょう。
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