サマーキャンプ講話「結婚相手の見つけ方」
昨日今日と一泊二日で教会学校のサマーキャンプを行いました。
市内から車で40分ほど山の中に入ると、キャンプ場があり、今回は山小屋を5つ借りて親子総勢35人ほどが分かれて宿泊。
川のせせらぎ、蝉やカエルの声、飛び交う虻(あぶ)、鬱蒼とした木立など、自然を満喫しました。
かなり前から計画を立ててはいたものの、思いがけないことは起こるものです。
先ずは天気。
これだけはどうしようもありません。
キャンプ場に着いた途端にパラパラと降り始め、
「通り雨かな」
と思ったら、次第にひどくなり、ついには土砂降りに。
しばらくは車の中からも出られないほどでした。
どうなることかと思いましたが、何とか1時間ほどで雨が上がり、山小屋に荷物を運び込んで、少し遅れてのプログラム開始です。
小学生の小さい子どもたちは、川に入って水遊びをする。(水は冷たい)
少し大きい子どもたちは、お父さんと一緒にヤマメ釣り。(なかなか釣れない)
ところが30分ほどすると、釣りをしていた男の子の一人が指に釣り針を引っ掛けてしまい、抜くに抜けない。
小さい針ではありながら、どうしようもないので、お父さんの一人にお願いして近くの診療所に連れて行ってもらいました。
ところが行ってみると、診療所は午前中で診療終了。
仕方なく市内まで戻って、医師会病院でやっと針を抜いてもらい、夕食が始まった頃に戻ってきました。
スタッフは大いに心労しましたが、本人はケロッとしたものです。
すぐに男同士の友だちと遊び始めました。
まあ、それで一安心です。
2日目の朝、1時間ほどの講義の時間を持ちました。
私は小学校4年生から高校1年生までの子どもたちを担当し、
「結婚」
についての話をしました。
結婚相手の見つけ方には、大きく分けて2つある。
一つは、「相手を選ぶ」という方法。
もう一つは、「相手を探す」という方法。
「相手を選ぶ」というのは、複数いる異性の中から、自分の好みに合う人、善い条件を多く備えている人を選ぶという方法です。
これは今の世の中で普通に採用されている一般的な方法であり、それ以外には方法がないようにも思われています。
ところが、これはあまり良い方法ではありません。
なぜかというと、自分のその時の選択がベストであったという確証はなく、自信を持つことも難しいからです。
自分の選択がベストではなかったと思い至った時、その人には2つの道があります。
一つは、もう1回よりベターと思える人を選び直すこと。
その結果が、3組に1組、あるいは2組に1組の離婚となって現れています。
もう一つは、ベストではなかったけれど諦めて、そのまま結婚生活を続けることです。
これは愛のない結婚生活になり、最後には「墓だけは別々に入る」という結末に至ります。
それに対して「相手を探す」というのは、どういう方法でしょうか?
「相手を選ぶ」というのとあまり違わないようにも思えます。
「相手を探す」というのは、
「神様が自分のために準備してくださったベストの相手を見つけ出す」
という方法です。
ここには初めから「選ぶ」という発想はありません。
ただ、この方法の難しいところは、いかにして正しく見つけ出せるか、ということなのです。
その方法について、子どもたちに話してあげたのですが、それについては次回にお伝えしようと思います。
このような話が小学生に理解できたかどうか、私にも分かりませんが、小学6年生の女の子は熱心にノートを取りながら聞いていました。
後でその子に、
「君はいつもあんなふうにノートを取りながら講義を聞くの?」
と尋ねてみました。
「いつもは何度も聞く話が多いから、ノートを取らなくてもいいと思ってるけど、今日の話は私の将来に関わる大切な話だと思ったので、ノートを取ったんです」
との答え。
こういう子が1人いるだけでも、今日話した甲斐があるなあと思うと同時に、子どもたちを正しく教え導いてあげることは実に大切だと、改めて思った次第です。
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