誇らしいマッチングの伝統
教区主催の「父母と二世研修会」に参加してきました。
研修会は今日と明日の2日間あるのですが、遠隔地であるために1日目の一部に参加しただけの感想です。
真の父母の歩みを、伝統という観点から見ると、どう表現できるでしょうか?
その歩みは多面的ですから、一つに限定することは難しいでしょうが、今日の講義の流れで言えば、
「マッチングの伝統」
だと言うことができると思いました。
統一教会といえば「合同結婚式」。
その結婚相手を決めていく主要な方法が「マッチング」というものです。
この方法は、教会員以外の方の目にはかなり異様に映り得るものであり、教会批判の材料にもなってきたものです。
しかし、今日の講義の中に興味深い証がありました。
大学の教官をしている、ある教会員の体験談です。
一般の学生を対象に、統一教会の祝福結婚の内容を講義すると、若い学生たちはあまりそういう情報を持ち合わせないので、前の世代とは違う反応をするようです。
「こんな自由恋愛の時代に、個人の結婚をそのように統御する宗教があるんだ!」
と驚くのですが、その後で、
「それって、相当レベルが高くない?」
と言うのです。
自由恋愛が全盛の時代。
今の親たち自身もそのように結婚してきたのですから、子どもたちがそれを望んだとしても拒否することはできません。
現代は自由が最も拡大された時代と言えますが、その中核が「恋愛の自由」です。
他のどんな自由は制限されても、「恋愛の自由」だけは確保したいというのが今の時代です。
そんな時代の中で、統一教会はその自由を制限しようとしているように見える。
それは敬遠したくなる所業のように見えながら、レベルが高いとも感じる。
なぜなら、恋愛の自由が必ずしも結婚の幸福を保証してくれるものではないこともよく分かっているからです。
これまで統一教会では文鮮明先生によるマッチングが多く行われ、またそれが最も権威の高いものとも見做されてきました。
しかし、文先生のマッチングがマッチングの本来の形ではありません。
本来は、実の父母によるマッチングであるべきなのです。
西暦2000年代に入って、文先生が「父母によるマッチング」を宣布されたのには、深い意味がありました。
それまで40年間にわたって、文先生がマッチングを主導してこられたのは、マッチングの伝統を立てて、それを父母たちが見習い、相続できるようにするためだったのです。
それなら、文先生が立ててこられたマッチングの伝統とは、いったいどのようなものなのでしょうか?
① 神様が願い、準備された一人の相手を探す
② 極と極とが出会ってこそ、発展的な結果をもたらす
③ 互いを家族として受け入れる
この3点がマッチングの伝統の核心であり、統一教会がこの世の中に対して真に誇り得るものです。
この伝統のどこがどのように誇らしいのでしょうか?
上の3点をさらに一言で言えば、
「結婚の相対は神様が決める」
という絶対的な思想なのです。
これをもう少し具体的に考えてみます。
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