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グノーシス主義とユダ福音書

kitasendo
パピルス 

現在、新約聖書は27書から成り、その内、福音書が4つあります。
これらが正典と認められたのは、西暦150~200年頃だと言われます。

しかし実際には、イエス様の死後、初代キリスト教の時代には、これら正典以外に相当多数の外典、偽典を呼ばれる書物が存在していたことが知られています。

例えば、福音書というタイトルが付いたものだけでも、「ナザレ人福音書」「エビオン人福音書」「へブル人福音書」「エジプト人福音書」「ヤコブ原福音書」「ペテロ福音書」「ニコデモ福音書」など、十指に余るものがあります。

その中でも、特に興味を惹かれるものに、
ユダの福音書
と呼ばれるものがあります。

ユダとは、正典の福音書ではことごとく「極悪な裏切り者」として描かれている、イエス様の12弟子の1人である、あのユダです。
ところが、ユダの福音書に描かれるユダの姿は、他の福音書のユダ像とまったく対照的なのです。

その内容を見る前に、20世紀に進んだ初期キリスト教研究の足取りを見てみましょう。

1945年、考古学史上を揺るがす驚くべき発見がありました。
ナグ・ハマディ文書の発見です。

ナグ・ハマディはエジプト南部にある小さな村で、そこにあった修道院の遺跡から、膨大な量のコプト語で書かれたパピルス写本が発見されたのです。
発見された写本のほとんどはグノーシス派の教義について書かれた文書であり、これによって初期キリスト教の研究は飛躍的に進みました。
この文書の考古学的価値は、その2年後、1947年に発見された死海文書に匹敵するとも言われるほどです。

そして1970年代。
ユダの福音書の写本がエジプトのミニヤー県付近の砂漠で発見されたのです。
それは全66ページにのぼり、ナグ・ハマディ文書と同じコプト語のパピルス文書として残されていました。

ところがその内容があまりに衝撃的なため、発見当時は捏造を疑う声もあり、写本発見から20年以上も買い手がつかない状態が続いたのです。

そもそも、グノーシス派とはどんなものでしょうか。

グノーシスとは、ギリシャ語で「知識」を意味します。
そこでグノーシス派の教義は、知識を通して救済の道を示そうとするものです。

知識といっても、単に本から得られる知識のことではありません。
自己の本質を「知る」ことによって神を認識することができる、という考え方です。

これは
「神の子であるイエスだけが、人間であると同時に神でもある」
とする教会主流の立場と真っ向から対立します。
つまり、神の声を仲介する教会の聖職者の権威に真っ向から疑問符を付きつけるものであったのです。

従って、このグノーシス派は異端として弾圧され、その文書はことごとく破棄されたのですが、秘密裏に保存されたものが千数百年ぶりに陽の目を見たというわけです。

ユダの福音書は、その内容から見て、基本的にグノーシス派的な立場から書かれたものだと見做されます。

ユダの福音書によれば、イエス様の真の教えを理解していたのはユダだけであり、イエス様に最も信頼されていた弟子が彼でした。
イエス様はユダを他の使徒よりも一段上の存在だと考え、皆を導いていくのは彼の仕事だと語っています。

「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になるだろう」
と、イエス様はユダに話しています。
イエス様から物質である肉体を取り除くことによって、内なる真の自己、つまり神の本質を解放するようにという意味です。

肉体は牢獄
これがグノーシス派の典型的な考え方です。
十字架につけて殺害することにより、その牢獄からイエス様を解き放ったのがユダであったというのです。

グノーシス派の特徴は、

① イエス様という特定の実体による救済を否定し、普遍的で極めて霊的な知識による救済を求める。
② 肉体あるいは物質世界を牢獄とみなすことにより、現世での救済を諦める。

というようなところにあります。

今日、統一教会を取り巻く問題を見ても、このグノーシス派的な教義(もちろん、すべてがそっくりではありませんが)をもって、神の油を注がれた特定の実体を否定し、救済を極めて抽象的で霊的なものに変質させようとする動きと見做すことができるように思います。

これも一つの同時性のような気がします。

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2011年07月07日 (Thu) 18:44
kitasendo
Admin:kitasendo