fc2ブログ
line-height:1.2;

拉致牧師がいう「本当の信仰」とは

kitasendo
拉致 

拉致監禁にか関わっている日本基督教団のM牧師とのやり取りを記した資料を読む機会がありました。
詳細は省いて、感じたことを簡略に記してみます。

あなたはどんな信仰観を持っているのか、との問いに対して、M牧師ははっきりと、
「私は神を信じていない」
と答えています。

そして、その後のやり取りをまとめてみると、その信仰観はおよそ次のようなものです。

① 神の存在を信じない。
② 地球上の生命体は進化論によってほぼ説明できる。
③ 霊界の存在を信じない。完全に否定もしないが、この世からの供養や助けなどというものは妄想である。
④ 葬式は生きている人の慰安のためにするものである。死にゆく人は、いかに安楽に死ぬかが最も重要なことである。
⑤ 聖書は神の啓示ではなく、人が書いたものである。
⑥ 聖書に記されたイエス様の言葉の8割は作為的なものである。
⑦ 統一原理で言うところの「原罪」というものはない。

私がかつて米国の神学校で学んだ時に教えられた聖職者たちの現実も、これと大差ないものでした。
米国の聖職者たちも、その大半、多分8割以上は神を信じない無神論者だと言われたのです。

俄に信じがたい数字のように思えますが、それなりの理由があります。

キリスト教の神学は太古からあるものですが、聖書を文献的に調べ、客観的に読み解こうとし始めたのは、数百年ほど前からのことです。
そして、そのような研究を進めればすすめるほど、「聖書に記された言葉は神の啓示」だという信仰を揺るがせる結果になっていったのです。

モーセ五書と言われる、旧約聖書の最初の5書でさえ、その元にはいくつもの異なる資料があるとされ、互いに相矛盾する要素がいろいろと指摘されました。

新約聖書に記されたイエス様の言葉は、その量からして多くはないものですが、それすら、大半が疑われるようになりました。
そもそも新約聖書が成立したのは、イエス様が十字架で亡くなってから数世紀も後になってのことです。

現代のような印刷技術もなく、ましてやパソコンやインターネットのような記録媒体もない時代。
おそらく、イエス様の教えの多くは口伝だったでしょう。
それらが数百年を経て、どれほど正確に伝わったか?

聖職者を目指す学生たちは、このような近代の神学を神学校でたっぷりと学び、その知識を持って聖職者になっていくのです。

無神論者を大量に作り出す神学。
実に皮肉な話です。

日本の聖職者の中にどれだけの無神論者がいるのか、はっきりとは分かりません。
ただ、米国の実情から推して、楽観はできないでしょう。

M牧師も、イエス様の実在までは疑っていないようです。
そのイエス様は神様について多くを語り、「私の父である」とまで言っておられます。

しかしM牧師は無神論者ですから、イエス様が語る神様の話はすべて虚しく響くしかありません。

「イエスの歩んだ道を、そのまま伝えたい」
と言うのですが、神様を抜きにしたイエス様の人生に、何か伝えるべき内容があるのでしょうか?
イエス様は、存在もしない神様のために、妄想を抱いて愚かな死に方をされただけです。

このような牧師に捕まって、神様を信じる信仰を捨てさせられたとすれば、これほど悔しく、やるせないことがあるでしょうか。

ところが、M牧師は信仰を捨てた人に対して、こう言います。
「統一教会の人はあまりにも簡単に信仰を捨てている。7年間信仰した人が、3時間半で脱会する。
その信仰は一体何だ?
その人が本当に信仰を持っているのであれば、殺すと言っても捨てないのが信仰だろう」

神を信じない人の「信仰」が、神を信じる人の「信仰」に勝っている、と言いたいのでしょうか?
M牧師が脱会を迫られれば、「私は神など信じていない」という「本当の信仰」を死んでも捨てないと言いたいのでしょうか?

ちょっと頭が変になりそうです。

よろしければ1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ
にほんブログ村

【お勧め記事】
関連記事
スポンサーサイト



教育部長

Re: 日本基督教団

大変参考になるコメントを寄せていただき、ありがとうございます。
勉強させていただきます。

2011年06月26日 (Sun) 20:00
かんご

日本基督教団

基本的に日本統一教会の信徒達は日本基督教団にも、創価学会にも興味が乏しい。
神様の全体的摂理の中で、彼らには彼らの役割がある。その役割、使命を理解して行く事が重要なのです。
そうでなければ、敵対し、対立するだけだからです。
歴史を知る事から始めなければなりません。
なぜ、日本基督教団は、カイン的になってしまっているのだろう?
なぜ?ですか?神様・・・と尋ね求めるのが大切です。
しかし、興味と関心を持っていないので、尋ね求めないし、だから答えも無い。
「関心の無いところに勝利は無い」と文師が言われる通りなのです。
これから食口達は、この国と民族の未来を考えて行かなければならない時代にやっとたどり着いたのです。
それで読んで見て、何を感じましたか?
感想をお聞きしたい。

2011年07月01日 (Fri) 01:53
kitasendo
Admin:kitasendo