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気づきの証

kitasendo
気づき 

地区主催の伝道担当者1日研修会に参加してきました。

その中で、現在取り組み中の伝道の証があり、
気づき
というキーワードでまとめることのできる、いくつかの印象深いものをご紹介してみます。

いずれも、文先生の自叙伝『平和を愛する世界人として』を基にした「自叙伝書写」を実践している中から生まれた証です。

① 「私は今、正しく生きているか」

夫婦も親子も友達感覚と言っていいような感じで、お互いに親しみがあり、決して悪い家族関係ではないと思っていました。

ところがある日、洗濯物を干しているときのこと。

自分の娘のパンツを上に、夫のパンツをその下に干していることに気がついたのです。
それまで、そんなことなど気にしたこともありません。
何気ないことのようですが、私にとっては「衝撃」のような気づきでした。

私は自分自身を深刻に振り返ってみました。

「一事が万事、ということがある。私は今まで、こんなふうに夫を扱ってきたのではないか? 本当に夫を大切にしてきただろうか?」

すると、今まではさしたる問題もないと思ってきた夫との関係にも、私が夫を軽んずる心や態度が随所にあったことに気がつき始めたのです。

② 「私を憎む者までも、ひたむきに愛そう」

親子5人で一緒に書写を続けています。
小学5年生の息子の体験です。

彼のクラスで前の席に座っている男の子が、授業に集中しない。
態度も悪い。
一度は、貸してやったエンピツを折って返してきたこともある。

息子はその友だちのことでかなり悩んでいたようです。
「どうして先生は、ぼくの前にこんな子を座らせるんだろう?」

ところがある時、息子が何だか晴れやかな表情で言うのです。
「ぼくは最近、彼のことがあまり気にならなくなったよ」

「どうして? 何があったの?」
と聞くと、
「每日、『私を憎む者までも、ひたむきに愛そう』って書いてるでしょ? ぼくが変わったのはこの自叙伝のお陰だと思うよ」
と言うのです。

③ 「影のない人生を生きる」

しばしば刃物が飛び交うような、とても仲の悪い家族でした。
舅姑とも同居していますが、大声言い合うようなこともしばしば。

ある時、娘がとんでもない事件を起こしてしまいます。
こんな時は、舅姑、さらには夫までが加わって、必ず「お前の教育が悪いからだ」と一斉に私を責めるに違いないと思っていました。

しかしその頃、私はちょうど「影のない人生を生きる」という自叙伝の言葉を每日書写していたのです。
それで私はいつもとは違う気持ちを感じて、娘を呼び、2人で静かに話したのです。

「お母さんは今、影のない人生を生きる、という言葉を書写してるんだけど、この言葉、あなたはどう思う?」
「いい言葉ね。私もそんな人生を生きたいと思うな」

そんなふうに、人生で初めてではないかと思うくらい、娘と深い話ができたんです。

すると、舅姑に対しても、心からこんな言葉が出てきました。
「娘がこんなことをしてしまって、本当に私の教育が悪かったんだと思います」

それに対して、舅姑が返した言葉は、初め全く信じられないものでした。
「お前は悪くないよ。本当はいつも思っていたのだが、我が家はお前で持っているようなものだよ」

そんなことがあった後、夫に祝福の話をしてみると、あまりにあっさりと「いいよ。行ってみるか」と言ってくれたんです。

以上、3つの証に共通するのは、書写をする本人が自分の内面の課題となっているものに、自分で「気づく」ということです。
このようなことになっていけば、誰か第三者が「あなたの課題はこれこれだ」と指摘する必要がなくなります。

そして人は、自分で気がついたときに、最も素直にその課題に向かうものです。


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Admin:kitasendo