明日死ぬように生きなさい
「皆さんは欲張りです。一生を生きるのに、80歳で死ぬとか、100歳で死ぬだろうと信じても、明日死ぬか、今日死ぬか分からないのです。
皆さん、できるだけ1年以内に死ぬものと思いなさい。この短い時間にすべて準備しなければなりません。できるだけ短く見積もるほど幸福なのです。その期間に真のものになるように準備する内容が、自分の永遠の生命の家を建てるのです」
私も時々、考えることがあります。
「余命があと3ヶ月だと宣告されたら、その期間をどのように生きるだろうか?」
しかし、なかなか真剣に考え抜くことができません。
今から8年前の6月に、妻がガンで昇華(他界)する直前。
医者からは、
「長ければ1年。もしかして、1週間後に急に悪くなることもあり得る。今はもうそんな状態です」
と告げられていました。
体力はもう相当に落ちて、歩くのもままならないほどでした。
私はそれでも妻の奇跡的な回復を信じる心を持ってはいましたが、日に日に弱っていく妻を見ながら、何をしたらいいだろうかと深刻に考えました。
そしてある日、妻にこう言ったことがあります。
「もう動くことも大変だろうけど、手紙を書くことはできるだろう? 今までに出会ってお世話になった人、関係がうまくいかなかった人、できるだけたくさんの人に感謝の手紙を書いたらどうだろう?」
どんな人であろうと、
「ありがとう」
の一言を言える、何か自分のために良くしてくれたことが一つくらいはあるだろう、と思ったのです。
地上を去る前に、せめて何が残せるか?
私なりに真剣に考えた挙げ句の思いでした。
しかしその時、妻はすでにそれさえもする気力を持たなかったのでしょう。
私の提案を静かに聞きながら、妻は結局首を縦に振りませんでした。
その時のことを思い出すと、私自身が死期に近づいた時に一体何を残そうとするだろうかと、考え込みます。
もちろん、死ぬ間際になって慌てるのではだめでしょう。
元気なうちから、自分の死をできるだけ間近に想定して、いかに充実した、密度の濃い生活を生きるか。
ガンジーが言うように、
「永遠に生きるように学ぶ」
ということが重要だと思います。
これは明らかに、
「霊界を想定した生き方を学ぶ」ということです。
最近のベストセラー『死ぬときに後悔すること25』という本に、
「死を不幸と考えてきたこと」
という後悔があると書いてあります。
もしそうだとすれば、全ての人はどんなに頑張って生き、富を得、家族に恵まれたとしても、結局最後には不幸になることを避けられません。
それでは一体何のために生きているのか、全ての努力が空しいものになります。
死というものは、決して顔を背けて見ないようにするものではなく、きちんと正面から見て、今の生き方を慎重に考えるよすがにすべきものでしょう。
死は決して不幸なことでも、怖いものでもないと思います。
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