善は密かに行う
ある日、高1の息子を乗せて車を運転している時、息子が、
「お父さん、天国になれば、車の鍵は要らなくなるのだろうか?」
と話しかけてきます。
「車を動かすには鍵は要るだろうけど、駐車しておく時に鍵をかける必要はなくなるだろうな」
と答えました。
天国になって、人の車を荒らす人がいるはずはないでしょう。
そこから息子との話はさらに発展して、鍵をめぐる天国と地獄の対比になりました。
地獄では、鍵が必要。
鍵を開けていれば、誰かが密かに侵入して何かを奪っていく。
天国では、鍵が必要ない。
鍵を開けていれば、誰かが密かに侵入して何かを置いていく。
地獄では、人は隠れて悪いことをする。
天国では、人は隠れて善いことをする。
昔から、
「陰徳」
という言葉があります。
何か人のためにする徳を積むのですが、人目につかないようにする徳を「陰徳」と呼んできました。
反対に、「陽徳」という言葉もあり、これは為にした善いことが人の目についたものを言います。
どちらがいいかと言うと、明らかに「陰徳」のほうがよほど価値が高いと言われます。
善いことも、人が知って評価してくれないと、それは神様の手帳に書き込まれる。
人が知って、人の世界で評価されると、それで報いを受けるので、神様の手帳にまでは書き込まれない。
どうも、そういうふうになっているようです。
文先生のお話に、
「人は自分のしたことを報告するとき、たいていは善いことから少し大げさに報告し、悪いことはなるべく言わないか、小さく報告するものだ。しかし、天国では、悪いことから正直に報告しなければならない」
とあります。
善いことをできるだけ人に隠れて密かにする。
これが天国へ向かう生き方だと思われます。
よろしければ1クリック!

にほんブログ村
- 関連記事
-
-
呼吸のような祈り 2010/01/30
-
霊的なもつれを解く訓読の力 2012/02/18
-
「貧乏くじを引く人生」はあるか 2013/12/02
-
この体は、あなたのものなのに・・ 2011/03/29
-