親が持つべき4つの資質
「私の人生には多くの失敗がありましたが、私の両親はいつも私を赦して下さり、私を信じて下さり、励まして下さいました。希望を捨てることなく、こういうことはできないだろうなどという否定的なことは決して一度も口に出すことはありませんでした。
その代わり『おまえならできる。克服することができる。すべては心の中で決まるんだよ。過去に行ったすべてのことは考えないで、未来に向かって生きなさい』と励まして下さいました」
しかし19歳の頃にホジキンリンパ腫というガンに冒され、困難な道も通過されています。
父母に反発して家を出て、一人暮らしをしながら、精神的に彷徨された時期もありました。
その後、年齢的にも精神的にも成熟されて、父母の愛を深く感じられるようになった時の証しが上の言葉です。
私はこの中に、父母が持つべき愛の3つの重要な要素があるように思います。
① 子女を赦す愛
② 子女を信じる愛
③ 子女を励ます愛
我が子の今の姿を見れば、「こんなことで将来だ丈夫だろうか?」と思うようなこともあります。
しかし今の姿を見ないで、我が子の本来の姿、つまり神様が与えた資質、才能を存分に発揮した姿を見ることができれば、今の我が子を赦し、信じることができる道があるでしょう。
しかしこれは、私自身、困難を感じることがしばしばあります。
考えてみると、子どもを信じるというのは、結局は、その子どもに大きな素質を与えてこの世に送り出して下さった神様を信じるということに違いありません。
文先生がその子女の方々を赦し、信じることができるというのも、その心の根っこに神様を絶対に信じる信仰があるからだと思わざるを得ません。
子どもへの不信は、つまるところ、神様への不信だということになります。
また、親に絶対的に信じてもらえない子どもが、その資質を100%発揮することは極めて難しいと思います。
さらに、文先生との次のようなやり取りがあったことも証言されています。
あるとき、お父様がエレベーターの中でこうおっしゃいました。
「善進。善進、おまえにすまない。おまえが大きくなる時に一緒にいてあげられなかった。おまえの兄弟姉妹すべてにも、本当に申し訳ない。おまえの両親として一緒にいてあげられなかったことを赦してほしい」
「お願いだからアッパ(お父さん)、私に謝らないで! アッパが私たちを救って下さったじゃないですか。食口(シック=教会員)だけでなく、私たちも。私個人の直接経験したことでも、祝福でも、本当に私を救ってくださったことに感謝しています」
ここにはまた、世界的な宗教指導者である方の、親としての真実な姿があります。
④ 謝るべきことは率直に謝る
私はこの4つの中に、父母としての理想の姿を見る思いがします。
先日あるテレビ番組で、友達親子タイプと厳格雷親父タイプの対照的な親子が紹介されるのを見ました。
前者では、2人の娘が父親を名前で呼び捨て、ほとんど友達感覚で接しているように見えます。
しかし娘に聞いてみると、父親とは何でも話せるし、それなりに尊敬もしていると言うのです。
一方後者では、食事中でも父親が子どもたちの食べる様子をじーっと睨みつけていて、非常に緊迫した空気が流れています。
和気藹々の会話がありません。
父親が言うには、自分も父親からそのように育てられた。家族には核が必要で、たとえ家族から嫌われたとしても、自分は将来の子どもたちのために規律のある育て方をする、という一種の信念を持っています。
どちらが良くてどちらが悪いとは、一概に言えない感じがします。
どちらも理想型とは言えないとも思います。
重要なことは、上にあげた4つの要素があるかないか。
親子というのは、その時だけ見れば上下の関係にも見えます。
その時には、親としてその役割をより良く果たすために3つの愛を実践すべきでしょう。
しかし、その親子関係の根底には、水平の関係があるべきだと思います。
親だから偉いとは言えません。
親も責任を果たせず、間違いを犯せば、その時は率直に謝る心を持つべきでしょう。
この世の親子も霊界に行けば、神様を父母とした兄弟姉妹になるというのは、この根底の水平関係が表面に出てくるということだと思います。
上下関係では、人間は本当に一つになることはできません。
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