私の堕落性に光を当てよ
「恐れれば、そのことが起きる」。レスター・レヴェンソンはよくこう言ったものです。レスターは深刻な不安やパニックから、ごくふつうの心配や不安、いらいらに至るまで、様々な恐れは、私たちの意識が作り出したものだと考えていました。 恐れを手放すための秘策は何でしょう。私たちはあるレベルで、恐れている出来事が起こることを、望んだり予期したりしているのです。意識的にではありません。潜在意識で望んでいるのです。 この事実を受け入れることができれば、解放できます。 恐れの感情がつくウソのひとつは、 「恐れを手放すと、恐れていることが本当に起きてしまう」 というものです。 私の経験では、これほど真実から遠い言葉はありません。影の中に隠れている恐れに意識の光を当てて解放し、潜在意識に隠れていた感情を呼び起こせば、いい結果が得られるのです。 (『人生を変える一番シンプルな方法』ヘイル・ドゥオスキン著) |
文鮮明先生は、
「堕落観念に徹せよ」
と言われたことがあります。
これはもちろん、「堕落性に徹して生きよ」という意味ではないでしょう。
私なりに解釈すれば、
「自分の堕落性を受け入れよ」
ということです。
ドゥオスキン氏の表現を使えば、
「影の中に隠れている堕落性に意識の光を当てよ」
ということです。
統一原理の堕落論は、「私の堕落性に光を当てる」ことであり、「影の中に隠れている悪魔に光を当てる」ことでもあると思います。
しかし、光を当てて、そこに留まるのではありません。
光を当てて、それをはっきりと意識し、受け入れた後は、それを「手放す」べきです。
手放すというのは、創造原理に戻ることです。
それが「堕落観念に徹せよ」という命題の究極的な目的ではないかと考えます。
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