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教育部長の講義日記

家庭連合の教育部長として、統一原理を講義し、思索する日々

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あまりに画期的な主礼者問答

治癒礼拝 

もう一度、文亨進世界会長の礼拝に関して書きます。

先日3月20日にインターネットを通して行われた礼拝は、3時間以上にも及ぶ長いものでした。
その最後の1時間以上は、「真の父母様、億万歳」を繰り返しながら祈祷し、気を集めて送るというもので、「聖霊治癒礼拝」と呼ぶようです。

その冒頭部分に、主礼者と参加者との「問答」が4回繰り返されます。
通常なら、問答は主礼者が問いかけ、参加者が答えるというものでしょうが、これは反対になっています。

例えば、第一の問答は次の如くです。

食口:礼拝を準備するにあたって、あなたは聖霊治癒礼拝の主礼者として神様の前に悔い改め、あなたが罪人であることを告白しますか?

主礼者:はい。私は神様と真のご父母様の前に悔い改め、自分自身が罪人であることを認めます。アージュ

主礼者に対して、「罪人であること」の告白を求めています。

同様にして、第二の問答では「聖霊が中心であって、主礼者自身が中心ではないこと」の告白を求め、第三の問答では「主礼者自身には何の特別な能力もなく、ただ神様の道具であること」の告白を求めます。

そして最後に、その告白を承認する形で、「神様と真の父母様が主礼者を導かれること」を願うというようにして問答を終えるのです。

最初にこの問答に、私自身も参加したとき、ある種の違和感を覚えました。
なぜだろうと考えると、従来の教会における「カイン・アベル観」を逆転するような信仰観に沿っているからのようなのです。

これまで「あなたの信仰は正しいのか?」と問うのは、通常、上に立つ人(責任者、指導者)でした。
下に立つ者は大抵「問われる側」であり、「評価される立場」でした。

ところが、この主礼者問答は、それが全く逆転しているのです。

このような問答は、世界会長の明確な信仰観から出てきたものであろうと思います。
先ず最初にその是非が厳しく問われなければならないのは、上に立つ者、すなわち、指導者であり、中心者である
という哲学です。

もちろん、それを問う者たちも、自分勝手な感情で問うべきではありません。
自分勝手な問いかけでは、それは単なる批判になってしまいます。

あくまでも原理原則に基づいて問うべきであり、そうであってこそ、その問答を通してお互いがより正しくなり、信頼関係も深まるだろうと思います。

そのように考えると、この問答は実に画期的な問答と言えるのではないでしょうか。

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感動しました * by たろ
世界会長の礼拝を始めて知り、感動しました。

先日、あるブログで、メシヤの息子(世界会長の事)が自分のことを”罪人”と言っているが、
それはおかしいだろ! と発言しているのを目にしました。

その後、教育部長さんのこのブログで、世界会長の礼拝の内容を知ったのです。

ところが、その中に、やはりご自身のことを”罪人”と言われているのを見て、
僕自身でも、「どうしてなんだろう?」と不思議に感じたのですが、
この記事の前半の部分を読んだときにひらめきました。

世界会長は、自らが先頭に立たれて、私たちのあるべき姿を示されている
アベルが、アベルとしての道理を果たせるように、自らを手本とされているのではないだろうか、と

そう思うと、世界会長の姿勢がとても尊く感じました。

素晴らしい記事、ありがとうございました。

たろ様へ * by 教育部長
仰る通り、世界会長は自ら、アベルとしての、あるいは人間としての見本を示してくださる立場ではないかと感じています。
とても謙遜であり、傲慢を何よりも怖れる方です。

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2011-03-26 * - [ 編集 ]

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2011-03-26 * - [ 編集 ]

感動しました

世界会長の礼拝を始めて知り、感動しました。

先日、あるブログで、メシヤの息子(世界会長の事)が自分のことを”罪人”と言っているが、
それはおかしいだろ! と発言しているのを目にしました。

その後、教育部長さんのこのブログで、世界会長の礼拝の内容を知ったのです。

ところが、その中に、やはりご自身のことを”罪人”と言われているのを見て、
僕自身でも、「どうしてなんだろう?」と不思議に感じたのですが、
この記事の前半の部分を読んだときにひらめきました。

世界会長は、自らが先頭に立たれて、私たちのあるべき姿を示されている
アベルが、アベルとしての道理を果たせるように、自らを手本とされているのではないだろうか、と

そう思うと、世界会長の姿勢がとても尊く感じました。

素晴らしい記事、ありがとうございました。
2011-03-31 * たろ [ 編集 ]

たろ様へ

仰る通り、世界会長は自ら、アベルとしての、あるいは人間としての見本を示してくださる立場ではないかと感じています。
とても謙遜であり、傲慢を何よりも怖れる方です。
2011-04-01 * 教育部長 [ 編集 ]

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2011-04-01 * - [ 編集 ]