神の創造目的は理想世界実現ではない
昨日のインターネットによる文亨進世界会長の説教。
その第2のポイントです。
② 神の創造目的は理想世界実現ではない
自力救済を念頭に置く宗教には、大きく2つの終着点がありました。
1.私の功労によって、私は神の前に出ることができる
このように考える宗教の終着点は「傲慢」です。
2.すべての宗教法度を守れる人は一人もいない
このように考える宗教の終着点は「絶望」です。
このような2つの終着点には、どちらも希望がありません。
しかし、ここに第3の終着点があり得るのです。
3.私の救いは、私によってではなく、神の愛とメシアによってなされる
このように考える宗教の終着点は「感謝」になるのです。
神様が私たちを愛し、救おうとされるのは、一義的に、私がそれに価するからではありません。
メシアが何度死んででも私たちを神様のもとに連れて行こうとされるその心があまりに一途なので、神様は私を愛されるのです。
ここには、救済論的な観点から見て、非常に重要な発想の転換が(少なくとも私 [教育部長] にとっては)潜んでいるように思われます。
と同時に、ここでもう少し突っ込んで明らかにしなければならない点があります。
それは、神様の元来の創造目的が一体何であったか、ということです。
上に、「メシアのゆえに、神様は私たちを愛し、救おうとされる」と言いました。
しかし、メシア自体は神様の創造目的ではありません。
このような存在は、人間の始祖が堕落して神様から離れてしまった結果、必要になった役割を表すものです。
創造原理上においても元来神様の創造目的であり、救済歴史上においてもメシアの立場に立たれる方。
それを
「真の父母」
と言います。
それゆえに、「真の父母」という存在以上に神様にとって必要であり、重要な方はないのです。
神様の創造目的とは、一体何だったのでしょうか?
私たちはこれまで原理講論などでこの点についてずっと学んできましたが、もしかしてかなり大きな誤解をしてきたのかも知れません。
神様の創造目的は、理想世界の実現や天国の実現ではありません。
これらは、もちろん重要なものには違いないのですが、創造目的が果たせた後に自動的にもたらされる「果実」に過ぎないのです。
それでは、最も本質的な創造目的とは何か。
「神の愛の対象」を完成させることであり、その中核が「真の父母」なのです。
「神の愛の対象としての真の父母」が完成し、そこから理想家庭、理想社会と広がっていけば、自動的に実現するのが理想世界であり、天国なのです。
極端な設定の質問かも知れませんが、もしも、全宇宙と真の父母と、どちらか一方だけを選ばなければならないとすると、神様は一体どちらを選ばれると思いますか?
神様は宇宙を捨ててでも、真の父母を選ばれるはずです。
そのようなことを考えたことがありますか?
私たちの信仰は、この本質的な創造目的に立ち返らなければなりません。
その創造目的の中核であるその方を愛することこそが、創造本然の願いなのです。
このような亨進世界会長の論点を辿っていくと、次のような結論に行き着かざるを得ません。
「神様の愛は、創造本然においても、堕落した後の救済歴史においても、常に『真の父母』という存在を求め、またその存在を媒介として、他のすべての存在を愛する、という愛である」
(説教内容は公式文書として出ておりませんので、文責は教育部長にあります)
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