神ともにあり、被災者からの朗報続々
(震災直後の12日、岩手県釜石市で生まれた赤ちゃん)
大震災の発生から5日目。
教会では委員会を設立して、義援金などの募金を始めています。
私の妻の父母が岩手県の花巻に住んでおられるので心配しましたが、電話も復旧し、元気な声を聞くことができました。
電気はやっと復旧したものの、食料やガソリンなどは不足しているので、店の前は長蛇の列になっているそうです。
3000人を越えると報道されている犠牲者の方々に、心からご冥福をお祈りします。
しかしその一方では、教会本部から生存者の証が届いています。
その喜ばしい証の一部をご紹介しようと思います。
【宮城県・石巻 Sさん】
子供を迎えにいき自宅に帰った時に津波に遭いました。
家に凄いスピードで10cmほどの水が入ってきたため、慌てて子供と一緒に車で脱出しました。車が津波に流されそうでしたが、何とか奇跡的に止まらずに高台にのがれることができました。心から神様と御父母様に感謝します。
【宮城県・石巻 Kさん】
教会から帰る時に、津波に呑まれ、車が流されました。
脱出不可能と思いましたが、窓ガラスが奇跡的に割れ、外に出ることができました。
その後、流されないように民家の軒下につかまり続けました。
1時間ほど水に浸かりもうだめかもしれない状況でしたが、救助の人に2階に引き上げられました。そして、長い距離を水の中を歩いて自宅に無事に着きました。本当に奇跡です。
【青森県・青森 Yさん】
仕事で八戸の海の所に仕事で行っていましたが、津波の数分前にその現場を離れました。
津波の事など、わからずにいましたが、後になってみると、神様と御父母様が守ってくださったと安堵しています。
先日まで清平40修練会を続けて2回参加し、また本体論修練会にも参加して帰りましたので、絶対善霊と天使の導きもあったと思いました。ありがとうございます。
【福島県・いわき】
・息子が、突然仕事が休みになり、たまたま自宅に来ていたときに地震が起きました。
息子がいたおかげで、すぐに避難することができて、津波から逃げることができた。
・海の近くに自宅があった為、大津波警報がでて、急いで逃げる時、家は流される事を覚悟していました。しかし、翌日見に行くと、その一角だけ津波は来ておらず、家は無事で、とても不思議でした。
【岩手県・盛岡】
・3月9日に父親が亡くなり、3月11日火葬の準備をしていたところに地震がありました。
丁度その場所が高台にあり、車で移動して行く中、津波に流されていく様子を目のあたりにしました。
幸い親族全員集まっていたので無事でした。
2月16日、青森の大母様の大会に一家そろって参加した上での父親の死なので、先祖が氏族を守ってくださったと思います。
・後でわかったことですが、清掃の仕事でいっているデパートに、3月11日の地震で亀裂が入っていて、14日にそのデパートに行って仕事をしている時に地下でガス爆発が起こり、1人が死亡、5~6人が病院に配送されました。
その時その清掃の仕事をしていた教会員が、その場に遭遇しながら何の傷もなく無事でした。
後から考えて見ると、事故の起こった部屋の掃除に行こうか、反対の部屋の掃除に行こうかと迷った時に、なにか胸騒ぎがして反対の部屋の掃除を行った為に守られたように思います。
感謝しています。
【岩手県・花巻 Fさん】
子どもを幼稚園に迎えに行き、まっすぐ家に戻ってきてすぐ地震に見舞われました。
地震がやみ、外に近所の人が出ていたのでどこに避難すれば安全なのかを聞き、泣きわめく子どもをなだめながら、避難する準備を始めました。
外では大津波警報の放送が流れ、これはただごとでとないと感じ、避難が長くなる事を想定し、7ヶ月の赤ちゃんのおむつ1パック、おしりふき、毛布、パン、お茶、チョコ、引き出しに入っていたお金をもって急いで車に乗り込みスタートしました。
まさかと思うけど家が流されたり浸水したら…と思い、せめてご父母様のお写真と天福函だけでも、ともう一度家に取りに戻りました。家財道具がなくなった今、取りに戻って良かったと思っています。
避難所では皆心配そうに海を眺めておりました。
離ればなれになっている家族、行方不明になっている家族が多い中、私たちはすぐに家族が合流でき、神様の導きに感謝しました。家財道具はなくなりましたが、家族という私の宝物がしっかり残ったのは何よりの私の財産です。
避難場所についても、私達は本当に恵まれており、温かい場所で食料と水もあり、布団とわりとゆったり横になれる空間を与えられました。子供達も自分の家のようにしてぐっすり眠っている姿を見て、守っていただいている事を感じ、本当に感謝でした。
私の住む野田の町中は言葉を失う位様変わりしていました。目のあたりにし、地獄を見ているような、戦後のような、ノアの洪水を思わせるような…言葉にならない光景が広がっていました。
本当に様々な事を考えさせられ感じさせられました。こうならないと分からない自分の愚かさに涙が出てきました。最後に残る物は何なのか、自分の内的なものを深く見つめさせられ、私は一体何を残すのかを突き付けられた思いです。
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