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この能力は私物ではない

kitasendo
豊田選手

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スランプというのは「私たちがそれまでできていたことができなくなること」ではない。できることは、いつでもできる。そうではなくて、スランプというのは「私たちにできるはずがないのに、軽々とできていたこと」ができなくなることを言うのである。
「できるから、できる」ことと、「できるはずがないのに、できる」ことはまるで別のことである。「できるはずのないことが、自分にはできる(だから、この能力は私物ではない)」と自覚し得たものだけが、次の贈与サイクルの創始者になることができる。 (ブログ「
内田樹の研究室」)

先日、国鉄の豊田選手と酒を飲んでいて、そのスランプの話になったが、彼は面白い事を言った。
スランプが無くなれば、名人かなーーこいつは何とも言えない。だが、はっきりした事はある。若い選手が、近頃はスランプだなどとぬかしたら、この馬鹿野郎という事になるのさ」
(小林秀雄「考えるヒント」)

「この馬鹿野郎」と怒鳴られそうですが、実は私も最近、ちょっとスランプです。
どうも、ここ何度かの講義があまりうまくいかないのです。

講義がうまくいかない時というのは、言葉がうまく出ない、というか、自分の言葉で講義してしまう、という感じになるのです。

教育部長になった当初は、こういうことがしばしばありました。
ここ3、4年は、ほとんどないのですが、それでも1年に1回か2回くらい、「スランプ」がやってきます。

内田先生の指摘は、私の体験からみても、正鵠を射ていると思います。

うまくいった私の講義は、「私ができること」ではなく、「私にはできるはずのないこと」だと、正直なところ、思っているのです。

今のようにスランプに陥って、
「どうしてこうも言葉が出ないのだろう」
と感じるときが、実は私の実力だと感じます。

逆に、
「今日は良く講義ができたな」
と思うときは、自分の力ではありません。
誰かが明らかに助けてくれているのを感じます。

まさに、
「できないはずのことが、できている」
のです。

ですから、そういうときの「良くできた講義」は、「私物」ではありません。
私のものではないので、自慢するようなことではなく、その恩恵は必ず誰かに与えてあげなければならないのです。

それを内田先生は、
次の贈与サイクルの創始者になる
と表現しています。

スランプに陥ったとき、豊田選手はそれをどう克服したのでしょうか?

「どうするんだ、と訊ねたら、よく食って、よく眠って、ただ、待っているんだと答えた」
(同「考えるヒント」)

長年の練習と実践経験から、バットをどう振れば玉に当たるか、体は十分に知っている。
知ってはいるが、体がその通りに動いてくれないのだから、体が動いてくれるようになるまで待つしかない。
そういうことでしょう。

私は、このスランプをどう克服したらいいのでしょうか?
「よく食って、よく眠って、ただ、待って」抜け出せればいいでしょうが、何かもう一つくらい付け加えたい感じもします。

「良い講義は、自分にできるはずのないことができていた」
と改めて自覚し、限りなく謙虚に戻る必要があるように思います。

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