躓(つまづ)く生き方

今から3年ほど前。
小学5年生だった娘が、学校で習う算数が理解できないと言って、しばしば私のところにやって来ました。
それは小数点のある数字同士の掛け算だったり、複数の三角形の面積の比較だったり。
親でも難なく教えてやれる程度の問題なので、教えながら一緒に解こうとするのですが、
「分かったか?」
と聞いても、往々にして娘は頭を抱え込み、浮かぬ顔で返事を返さないのです。
私にしてみれば、習った通りの公式を使って解けばそんなに難しいことではないと思うのですが、頭を抱える娘を見ていると、どうやら設問の意図する概念自体が分からないことが多いようだということに気がつきました。
その娘の姿を見ながら、私は昔見た高畑勲監督のアニメ「おもひでぽろぽろ」の一場面を思い出しました。
私と近い世代になる主人公タエ子が小学5年の時、やはり算数の問題が難しくて解けません。
分数を分数で割るという問題です。
頭のいい姉は呆れながら
「こんな問題、公式通りに解けば何の問題もないじゃない!」
と教えてやろうとします。
これに対して、タエ子は
「4つに切ったりんごの一切れをさらに4等分するというのなら分かるけど、4分の1等分するというのは一体どういうことなの?」
と問い返すのです。
「4分の1で割るには4を掛ければいい」
という公式を覚えている姉も、妹のこの質問には虚を突かれたように即答ができません。
公式を覚えておけば容易に解ける問題なのですが、タエ子が躓いたのは概念の問題だったのです。
このタエ子は、母や姉の目には要領の悪いドジに見えます。
公式があるのだからその公式通りに当てはめて処理すれば、物事はもっと簡潔明瞭、スムースに進むのではないかと、横から見るだけで苛々するのです。
それなりに賢い人間は教えてもらった公式をそのまま覚えて、それなりにうまく生きていけるでしょう。
タエ子タイプは公式通りに解答を導き出せず、自分なりに考えて回答を出そうとして簡単に出せないために、それなりに賢い人間に後れを取るように見えます。
しかしどちらが本当に幸せな人生を送れるかと考えれば、これは即断できるでしょうか。
これから考えると、どうやら私はそれなりに賢い人間で、公式がある分野においては躓くことなく生きられるタイプということになるのかと、思わず苦笑しました。
そういう人間には躓く生き方が羨ましい場合もあるような気がします。
面白いことにアニメでも、算数に躓いたタエ子は学芸会の役作りには独自の工夫を凝らして大喝采を博し、それを見たさる劇団から出演の依頼が来ました。
ここでも彼女はもらった台本をただ覚えようとしたのではなく、どういう所作をしたらちょい役でも観客にアピールできるかと、自分なりに考えて工夫したことで成功したのです。
もっとも劇団への出演は、昔気質の父親の断固たる反対で実現せず、タエ子のその後の人生はかなり平凡なまま進展することになります。
それでもタエ子がこのアニメの主人公になりえた理由は、
「公式に全面依存せず、自分なりに考えて回答を出そうとする要領の悪さ」
にあると言ってもいいように思います。
中学2年になった私の娘は、3年前より随分理解が早くなりました。
それは嬉しいことではありますが、しかしその一方では、タエ子のような要領の悪さ、躓く生き方は決して軽んじないでほしいとも思ったりします。
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