「私、綺麗でしょう?」
家の庭に1輪だけ、ピンクのバラが咲いています。
あまりに綺麗なので、数日前に写真に撮りました。
光の加減でしょうが、花びらの周辺がうっすらとピンクに輝いているように見えます。
昨日の朝、車に乗って家を出ようとすると、ちょうど生け垣の内側に咲いているそのバラが、花の部分だけ生け垣から頭を出しているのです。
これまでも毎日、同じように車で出かけているのに、そのことに気がついたのは、初めてのことでした。
生け垣から花の部分だけ覗かせている姿を見ると、
「私はここに咲いていますよ。綺麗でしょう? 行ってらっしゃい」
と、私に話しかけ、送り出してくれているように感じたのです。
何気ないことのようですが、私にとっては、体の中に電撃が走るような、一つの衝撃的な出来事でした。
昨日は、ちょうど私の連続講演会の2回目。
「豊かに生きる」
というテーマの講演をすることになっていました。
私は、自分でも予期もせず、朝のバラ体験を話の中に入れたのです。
私には、その朝の体験こそ、
「豊かに生きる」
その象徴のような気がし始めていたのです。
金銭的に豊かであること。
それは言うまでもなく、豊かさの一部には違いありません。
しかし、実は、もっと素晴らしい豊かさに、私たちはすでに囲まれて生きている。
私はあの庭のバラに、お金もかけていないのです。
いつの間にか成長し、いつの間にか花を咲かせて、気がついたら、綺麗に装って、私を見送ってくれる。
こんな有り難いことがあるでしょうか。
家を出て、教会までの道々、前半は山に囲まれた道を走ります。
今の季節、両側の山は多くの葉っぱが色づき始め、美しい景色を作っています。
これも私が一銭の出資さえしているわけではありません。
にも拘わらず、私はこんなに素晴らしい景色を所有している!
統一原理では、人間以外の創造物を「万物」と呼びます。
万物の最も本質的な存在目的は、
「人間を喜ばせることだ」
と言います。
このことを、私は心から実感した思いです。
神様が創造され、私たちが住んでいるこの世界は、本質的に無限の豊かさを持っている。
そこに、金銭的なやり取りは必要ないのです。
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