浄土は本当にあるのか
親戚のおじいさんが101歳の大往生をとげられ、葬式に参席しました。
浄土真宗ですから、読経の中に、
「阿弥陀仏のおられる浄土に往生・・・」
というような一節が耳に入ります。
宗教において「あの世観」というのは最も重要な要素の一つであるのに、それが宗派・宗教によって実にまちまちなのも事実です。
浄土のもともとの意味は、清らかでいかなる苦しみもない仏国土、つまり仏さまの国ということ。
仏様によってそれぞれの国があり、例えば薬師如来の東方浄瑠璃世界、大日如来の密厳浄土など、そこで仏様が説法していると説かれています。
阿弥陀仏が作られた国を極楽浄土、あるいは西方浄土と呼びます。
そこは、どんな人々であろうとも、 念仏を唱えるならば、命が尽きた後に生まれ変わることができる永遠のやすらぎの世界だと言われています。
しかし、そこは安穏として過ごすところではなく、仏になるまで菩薩行を積まなければなりません。
その修業がどれほど続くのかは知りませんが、少なくとも地獄のような場所ではないようです。
浄土真宗の開祖、親鸞聖人は『歎異抄』の中で、次のように説いておられます。
「親鸞は父母の孝養のためとて、一遍も念仏まおしたること、いまだ候はず。その故は、一切の有情は皆もて世世生生の父母兄弟なり。いづれもいづれも、順次生に仏になりてたすけ候べきなり・・・」
現代文に訳せば、
「親鸞は父母兄弟を思って念仏を唱えたことはない。なぜなら生きとし生けるものは皆自分とつながる生命だ。だからそれら皆が順に仏になってしまってから生きとし生けるものをたすけるべきなのだ」
とでもなるでしょうか。
浄土に行った途端、仏になるわけではありませんが、いずれ必ず仏になるはずですから、死者をそれほど心配する必要はないということになります。
ところが歎異抄の中には、「地獄に堕ちようとも、地獄もまた住処である」というような趣旨の記述があります。
その言わんとするところは、「地獄に堕ちるか、極楽に行くかなど、気に病むようなことではない」ということでしょうか。
そもそもお釈迦様は、死後の世界についてあまり積極的に触れられなかったと聞いています。
「われ、鬼神を語らず」と言われた孔子様と似たところがあります。
「いくら考えてもわからないことに時間を無駄に費やすな」という考え方です。
そうすると仏教の視線は、自然とこの世に向くことになります。
極楽浄土は本当にあるのか?
あの世観が宗教によってまちまちだということは、その観が曖昧だということでしょう。
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