財布をめぐる息子の神体験
今日は日曜日でしたが、高2の息子が英検準2級を受けるため、登校。
ところが出かける前になって、財布がないと言って騒ぎ出しました。
私は少し前にどこかで見たような気もするのですが、どこだったか思い出せません。
おばあちゃんも一生懸命に探しますが、心当たりのどこにも見当たりません。
私は日曜の礼拝に出かけるまで少し時間があったので、原理講論をしばらく読もうと、廊下の椅子に座って訓読を始めました。
すると、財布探しに疲れた息子がそばにやって来て、私の訓読を聞き始めます。
第2章「堕落論」の「蛇の正体」の部分です。
息子曰く。
「しつこい。何回『霊的存在でなければならない』を繰り返すんだ! そんなに言わなくても分かるよ!」
そう言いながらも、訓読は最後まで聞いています。
その後もまた財布を探しましたが、家の中にはどこにも見つかりません。
息子もついに諦め、おばあちゃんに「もし見つかったら、携帯に電話して」と言い残して、私の車に乗り込みます。
私はふと、「車の中で見たのかなあ」という気がして、「中をよく探してみたら?」と提案。
すると、間髪を入れず、息子の叫び声が。
「あったああ~!」
運転席と助手席の間に挟まっていたのです。
「ああ、良かった! 財布の中の学生証がないと、今日の試験が受けられないかも知れないところだった・・・」
息子は昼ごはん代でもいるので財布を探しているのかとばかり思っていたのですが、こんな深刻な探しものだったのです。
それで、あんなに一生懸命だったんだな。
車が走りだすと、後ろから息子が、
「やあ、神様のお陰だあ。お父さんの訓読をそばで聞いていて、良かった!」
と、親としては嬉しくなるような一言を発してくれました。
高校に入った頃から、少しづつ教会の礼拝にも行きたがらなくなり、時には、
「ぼくは、統一教会の信仰を続けないかも知れないよ」
などと言うこともあって、親としては胸が塞がるようなこともあります。
しかし、何も言わないのに、寝る前には毎晩、敬拝をするし、思春期特有の悩みなども正直に話してくれたりします。
親として不足なところが多いのですが、子どもの芯には神様への思いがあるのかなあ、という希望を感じさせてくれます。
神様が私たちを見ても、こんなふうに心配でならないことが多いのでしょう。
それでも、おそらく希望を失ってはおられない。
私たちも神様を見習い、子どもの本性だけは信じ、希望を失わないようにしなければいけないと思います。
(私の財布はインチョン空港でなくして見つからなかったのですが、息子のは見つかってよかった! その時の体験は「ゼロに戻りなさい」をご笑覧ください)
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