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水の上を歩く信仰

kitasendo
walk on water

新約聖書の福音書を見ると、イエス様が湖水の上を歩いたという記事があります。

ある夜明け方、イエスが湖水を歩いてこられる姿を見た弟子のペテロが、
私に命令して、そちらに歩いて行かせてください」
と頼みます。

するとイエス様が「来なさい」と言われたので、ペテロは船から降りて水の上を歩いてイエス様の方へ進みました。
ところが強い風が吹いてきて、急に恐ろしくなった途端、ペテロは沈みかけるのです。

私も昔、夢の中で水の上を歩いた経験があります。
しかし現実に歩いたことはありません。

本当にこんなことが可能だったのか、私には分かりません。

しかし最近では、水の上を走るというスポーツがあることを知りました。
関心のある方は、下から youtube に入って、一度ご覧ください。(英語版です)


もっともこれは、とても「水の上を歩く」などという悠長なイメージではありません。
水の上を全速力で走り、しかもせいぜい20歩くらいが限界です。
それでも、普通なら2、3歩も行かずに沈むのですから、20歩まで沈まずに走れるというだけでも大したものです。

今朝、教会長がこの水の上を歩くという聖書の物語にまつわる話をされました。

ある青年が信仰の道を歩み、その信仰がとても高まって、イエス様を慕う心が切実になりました。
それである日、彼はこんな考えが頭に浮かんだのです。

「今の私ほどの熱烈な信仰があれば、イエス様のように水の上でも歩けるのではないか?」

そこで彼は湖に出かけて、自分の信仰を確かめてみようとしました。

さて、彼は湖の上を歩けたのでしょうか?

彼は2、3歩も行かずに、見事水に沈んでしまいました

そこで彼は教会の牧師を訪ね、質問したのです。
「どうしてこれほどイエス様を慕う心が強く、熱心な信仰なのに、私は水の上を歩くことができないのでしょうか?」

すると牧師は、彼に一言、こう尋ねました。
イエス様があなたに、『水の上を歩いてきなさい』と命じられたのですか?

青年は、当然ながら、
「いいえ。私は自分の信仰があれば水の上さえ歩けるのではないかと思ったのです」
と答えましたが、それからハッと、あることを悟ったのです。

私の信仰があれば、◯◯ができるのではないか
というのは、信仰ではない。
イエス様が、あるいは神様が「こうしなさい」と言われることをそのごとくやることが本当の信仰ではないか・・・。

私はこの教会長の話を聞きながら、いろいろと考えさせられました。

我々は信仰の年数を積み重ね、自分なりの経験や実力をつけたと感じるようになると、
今の自分なら、これくらいのことができるのではないか。それをやって、神様のみ旨に貢献できるのではないか
と考えたりするものです。

その動機がまったく間違っているとは言えませんが、微妙にずれる可能性もあるように感じられます。

それは本当に神様が私に「命じた」ものなのか?
あるいは、自分の信仰や存在意義を確認するためにやろうとするものなのか?

水の上を歩いたところで、実際何の役にも立つものではないでしょう。
そんなことを敢えてやってみようというのは、もしかして鼻につく「自己顕示」でしかないかも知れません。

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2010年09月28日 (Tue) 10:53
kitasendo
Admin:kitasendo