世界観によってデータを見る
『99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方
西洋の世界観は中世にいたるまで、「地上界」と「天上界」とを分けるものでした。
地上界には例外や不規則性があってもいいが、天上界は完璧な世界であると考えられていたのです。
1610年にガリレオ・ガリレイが自前で望遠鏡を作って天体を観測しました。
すると、33倍に拡大された月の表面には無数の凸凹(クレーターですね)が確認されたので、これは大発見だと思って、24人の大学教授を集めて望遠鏡を披露しました。
彼らは遠くの山の木々が拡大されたのには感嘆の声を上げたのに、いざ月を覗いて凸凹を見たときには、
「こんなのは、デタラメだ!」
と叫んだのです。
彼らの頭には、
「天上界は完璧であり、月は完全なる球形で、凸凹などあるはずがない」
と思い込んでいたわけです。
これは、私たちの頭には特定の世界観(パラダイム)があり、それに合わないデータは「デタラメだ」の一言で排除されてしまう、ということを示しています。
それから100年ほどの時が流れ、フランシス・ベーコンが、科学的な実験の意味について、
「実験は、理論の種を見つけるために行うもの」
と定義しました。
実験を何度も行ってたくさんのデータを集めることによって理論を発見できる。
それが科学を発展させるための最良最短の手法だというわけです。
かつて、自分の目で見ながらもガリレオの発見を認めなかった24名の教授たちへのカウンター・パンチとも言えます。
ベーコンの提唱は、今では「科学の進歩」に関する常識と言ってもいいものになっています。
ところが、それからさらに150年あまりたって、ピエール・デュエムという人が、ベーコン主義に反論を持ち出し、
「理論を倒すことができるのは、理論だけである」
と主張したのです。
これは言い換えれば、
「世界観(古いパラダイム)を転換させることができるのは、世界観(新しいパラダイム)だけである」
ということです。
世界観というのはひとつの枠組み(パラダイム)ですから、その枠組から外れたデータはデータとして機能しないのです。(24名の教授たちの反応で見たとおり)
それまでの世界観を崩すように見えるデータをいくら羅列しても、そられは何かの間違い、あるいは例外として除外される限り、世界観を崩すことはできないでしょう。
それまでの世界観を崩そうとすれば、それらのデータをうまく説明できる新しい世界観を作り上げ、それをもって古い世界観に挑むしかないのです。
実際、古い世界観は、その後のコペルニクスなどの登場で、大転換されていき、終焉の道をたどりました。
天動説が地動説にとって代わられた背景には、
「地上界も天上界もまったく同じ法則によって運行する」
という新しい世界観の登場があったと言えるでしょう。
私たちは概して、世界の見え方自体が、自分の頭の中にある世界観によって決まっている。
つまり、データによって見るのではなく、世界観によって見ているということです。
実は、このことを基に、特捜検事がデータを改竄して逮捕されたという事件について考えてみようと思ったのですが、だいぶ長くなったので、続きは次回に。
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