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教育部長の講義日記

家庭連合の教育部長として、統一原理を講義し、思索する日々

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相手の「親」の立場に立って考える

sengen

斎藤一人さんでしたか、
『親切』というのは、『親』の心(身)になり『切』ることだ
というような内容を本で読んだ記憶があります。

親は子どもに対して、自分以上に幸せになってほしいと心底願うもの。
そのような心で接することが本当の「親切」だというのです。
なるほど、と思いましたが、簡単にできることではないでしょう。

仏教で言えば「真我」、統一原理で言えば「真の愛」が必要です。

自己中心が幅をきかせるこの世の中で、道徳は、
相手の立場に立って考えよ
と教えます。

それに対して、文先生は、
相手の親の立場に立って考えよ
と言われながら、自ら実践躬行されます。

昨日の記事で、神様の僕(しもべ)である天使長の限界について書きました。
天使長も「相手の立場」に立って考えるというところまではある程度できるかも知れませんが、「相手の親の立場」に立つというのは難しいのだろうと思います。

神様の子女たる私たち人間はどうなのでしょうか?

人間にだけは「責任分担」があります。
それは、神様の「創造性」と「主管性」に似ることです。

神様は自らこの宇宙を創造した方ですから、その全体に対して責任を感じられます。
宇宙の中に何か問題が起これば、
「それは私の責任だ。私が責任を持って解決しなければ」
と思われるでしょう。

私たち人間は、そういう神様に似ていく責任があるというわけです。

しかし、私たちが宇宙全体に責任を持てるのでしょうか?

文先生のお話の中に、
皆さんが自分の妻を愛せば世界中の女性を愛したと認め、自分の夫を愛せば世界中の男性を愛したと認め、自分の子女を愛せば世界の人類を愛したと認めよう。それが神様の心です
というような内容があります。

私が実際に全人類を直接愛することはできません。
しかし、自分の目の前にいる夫や妻、子どもたちを愛すれば、全人類を愛したと同等の価値を認めようというのです。
これは実に有り難い神様の計らいというべきです。

私は自分の人生に関わる範囲の中で、人やものに責任を持てばいいということです。
その際、目の前の妻を「全人類を代表した女性である」という真剣な心で愛すること。
まさに、目の前の対象を「愛の基として愛する」という態度です。

アダムも、目の前にいる天使長を被造世界の代表として、彼の親の立場(すなわち神様の立場)に立って愛さなければなりませんでした。
それができれば、彼は全被造世界を神様の立場で愛したと認定され、神様の創造性と主管性に似ることができただろうと思います。

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相手の親の立場に立って考えよ * by うみうし
残暑お見舞い申し上げます。
いつも、私の信仰生活講座と思いながら、拝読をさせていただいています。

「相手の親の立場に立って考えよ」ですが、私はずっと「神と同じ立場に立って考えよ」とだけ理解してきました。

「相手の親」 =  「神」  という解釈をしたことがありませんでした。
文字に囚われ過ぎていたように感じます。

今回の件ばかりでなく、今までにも、一つの見方しかできなかった内容があることもきずきました。

そこで、質問があります。
私は、「本当に愛する」という意味が理解できません。 
悪いことも、良い事も全て受けとめて、相手が悟るまで忍耐強く待つことが本当に愛することなのか、相手の過ちをハッキリと伝えることが本当の愛なのか?

抽象的な質問ですが、何か良い内容がありましたら教えてください。



Re: 相手の親の立場に立って考えよ * by 教育部長
「『忘れること』の意味」(2009.11.2)という記事の中で、「真の愛」の特質を4つ挙げています。
お答えとしてはこれも抽象的になると思いますが、はっきり言うか、受け入れるかという対応のしかたというよりも、私はどのような愛を持ってその人に対応しているか、ということが基本的に考えてみるべき点ではないかと思います。
形としては同じような対応だとしても、私が持っている愛によって相手が感じるものは自ずと違ってくるのではないでしょうか。
私自身も日々の人間関係の中で「自分の愛はどの程度真に近いのか?」と自問自答しながら、まだまだ道のりの遠いことを感じております。
特に家族関係は、私たちにとって大きな試金石になると思います。

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相手の親の立場に立って考えよ

残暑お見舞い申し上げます。
いつも、私の信仰生活講座と思いながら、拝読をさせていただいています。

「相手の親の立場に立って考えよ」ですが、私はずっと「神と同じ立場に立って考えよ」とだけ理解してきました。

「相手の親」 =  「神」  という解釈をしたことがありませんでした。
文字に囚われ過ぎていたように感じます。

今回の件ばかりでなく、今までにも、一つの見方しかできなかった内容があることもきずきました。

そこで、質問があります。
私は、「本当に愛する」という意味が理解できません。 
悪いことも、良い事も全て受けとめて、相手が悟るまで忍耐強く待つことが本当に愛することなのか、相手の過ちをハッキリと伝えることが本当の愛なのか?

抽象的な質問ですが、何か良い内容がありましたら教えてください。


2010-08-30 * うみうし [ 編集 ]

Re: 相手の親の立場に立って考えよ

「『忘れること』の意味」(2009.11.2)という記事の中で、「真の愛」の特質を4つ挙げています。
お答えとしてはこれも抽象的になると思いますが、はっきり言うか、受け入れるかという対応のしかたというよりも、私はどのような愛を持ってその人に対応しているか、ということが基本的に考えてみるべき点ではないかと思います。
形としては同じような対応だとしても、私が持っている愛によって相手が感じるものは自ずと違ってくるのではないでしょうか。
私自身も日々の人間関係の中で「自分の愛はどの程度真に近いのか?」と自問自答しながら、まだまだ道のりの遠いことを感じております。
特に家族関係は、私たちにとって大きな試金石になると思います。
2010-08-31 * 教育部長 [ 編集 ]