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堕落性も遺伝するか

kitasendo
genetic

清平の霊界解放に関する考察のヒントの4番目は、
堕落性は血統を通して遺伝する
ということです。

罪が血統を通して遺伝するということについては、法定論的にも、霊との関わりから見ても妥当なことであるのは、昨日の記事で考えてみました。

ところが、堕落性というのは個々人の内にある「性質」です。
自己中心、我欲、妬み、恨み、傲慢、移り気、責任転嫁、などなど、人間が神様から離れることによって創造本性が捻じ曲がったものを堕落性と呼んでいます。
このような「性質」も血統によって遺伝するものでしょうか。

遺伝学のような観点から論じるだけの知識はありませんが、ここでは「霊との関わり」の観点に絞って考えてみることにします。

私たちの体の中に相当数の悪霊が住み込んでいることは、これまで見てきました。
原理講論によると、悪霊とはサタンの教唆を受けて活動する霊人です。(原理講論 p.229)
ただ、原理講論の記述を読む限りでは、悪霊は外部からやってきて地上人に働きかけるというような印象を受けます。

ところが、私たちにとって最も影響力が強いのは、外部から働きかける霊ではなく、まさに私の体の中に入り込み、内部から1日24時間休むことなく活動する霊に違いないと思われるのです。

その霊はどのようにして私の体の中に入るようになったかといえば、私の先祖との関わりの中で様々な恨みを持ち、子孫を通してでもそれを晴らしたいという願いからでした。
そして私が死ねば、その霊は私が最も愛した子孫の体の中へと移り住んでいくというのです。

その霊たちには、みな堕落性があります。
被害を受けたことが赦せないのですから、被害者意識、恨み、憎しみなどに満ちているでしょう。
そのような霊が私の中に数多く存在していると想像してみてください。

私自身にも創造本性と堕落性があります。
創造本性の力が10、堕落性の力も10だとします。
これなら、勢力が拮抗していますから、熱心に努力すれば本性が堕落性に勝てる可能性もあります。

ところが、現実はそうではないというのです。
私の本性が10なのに対して、堕落性は私の10と、私の体の中にいる悪霊たちの堕落性合計した1000くらいの堕落性があるのです。
これではまともに闘って勝てる道理がありません。

大母様が、
地上人も霊界の霊人も、みんなが自分よりも強いサタンと悪霊人の主管の中で生きている
と言われるのは、このことだろうと思います。

先祖から受け継いだ悪霊に妬みという堕落性が強ければ、その体内の霊の影響を受ける私自身も妬み深い性質になってしまう。
これが、「堕落性の遺伝」ということです。

この問題を解決するには、どうしたらいいのでしょうか。

体の中にいる悪霊さえ分立すれば、いくらでも堕落性をなくすことができる。病気や苦痛もなくすことができる
というのが、大母様の方法論です。

私の体の中にいる悪霊を取り出してしまえば、私の状況は本性が10、堕落性が10という、私個人の問題に還元されます。
その状態で、私が堕落性を脱ぐ努力をすればいいというわけです。

ただし、清平の霊界解放の役事が私たちの問題をすべて解決してくれるのではないということを良く理解しておく必要があります。
私たちが私個人としての責任で創造目的を達成していく道において、抵抗勢力と闘いやすい環境を作ってくれるのが清平役事だと言っていいでしょう。

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taro

そうかなあ?

> 私の本性が10なのに対して、堕落性は私の10と、私の体の中にいる悪霊たちの堕落性合計した1000くらいの堕落性があるのです。
> これではまともに闘って勝てる道理がありません。

影響を与えるのも受けるのも、相対基準をむすぶかむすばないかの問題であり
数値の大小には関係ないと思います。

もしかしたら罪や堕落性が、私の外側からの影響という側面しか見ていないからでは?

> 体の中にいる悪霊さえ分立すれば、いくらでも堕落性をなくすことができる。
> 病気や苦痛もなくすことができる

僕もこのみ言葉には全く同感ですが、
清平役事の外面的な方法のみを指して、悪霊分立と語られているのではないでしょう?

2010年08月27日 (Fri) 09:42
教育部長

Re: そうかなあ?

新規の方々に講義することが多いこともあってか、最近は表現を単純化して分かりやすくと考える傾向があるようです。数字はその現れだと受け取ってください。
本質的には私の中にある堕落性と悪霊との相対基準の問題だと私も思いますが、こんにちの現状は「相対しなければいい」と簡単に言えないところに難しさがあると感じています。
霊の力がとても強いので、自分単独で対抗するのは実に大変です。
最近私は、私たちの復帰において、「祝福」と「清平」はともに絶対必要だと考えております。
大きな荷馬車を引っ張るのに、強いエンジンを借りなければ坂道を登っていくのはとても困難です。

2010年08月27日 (Fri) 11:18
kitasendo
Admin:kitasendo