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教育部長の講義日記

家庭連合の教育部長として、統一原理を講義し、思索する日々

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霊界では罪が可視化される

sevensins

清平の霊界解放に関する考察のヒントの2番目は、
霊界では罪が可視化される
ということです。

清平で地上人の肉体から解放されて霊界に行った霊人たちは、そのまま霊界の修練所に送られるようになります。
そこで100日間の実に過酷な修練会が待っているのです。

霊界にはこの世のような時間の流れがありませんから、霊界の100日はこの世の100年にも相当します。
この世で言えば、生まれてから死ぬまで修練会だけで生きていくようなものです。

この修練会でするのは、次のようなことです。

① 被造世界(神様が創造された世界)の原理を学び、神様とその創造目的、人間の罪の内容について学ぶ。

② 地上生活で自分の身に染み付いた罪をすべて削ぎ落とす。

②について、修練所からのレポートは次のように描写しています。

役事の時間には、タワシのようなものが、天使を通して一つずつ修練生みんなに配られます。
そして、
「皆さんの体のこのような模様、このような色は、地上でこのような罪を犯したために現れるのです」
と、罪に関する詳しい説明がなされます。

どうやら霊人体というのは、その人に内在している罪の種類によって体色が変わるようです。
窃盗や淫乱、殺傷などいくつもの罪があれば、霊人体はまだら模様になり、自分の目にも周囲の目にも、隠れた罪が露骨に暴露されてしまうわけです。

さらに、
罪はねばねばした強力な力でこびりついている
とも描写されています。

そこで修練所の指導霊が、「今日は我欲から生じた罪を磨き落とすようにします」と言えば、皆は聖歌を賛美しながらその罪を、渡されたタワシのようなものを持ってひたすら磨き落とすというのです。

この描写は、この世の感覚では理解しにくい感じがします。

例えばこの世で「殺人罪」と言えば、殺人そのものは体を使った目に見える行為ですが、その殺人が「罪」だという場合、それはきわめて概念的なものになります。
殺人者の体に何かが付着して、一目でその罪が分かってしまうというような物質的なものはありません。

しかし霊界では、罪が単なる概念ではなく、何かこの世以上に物質的な感じをもって表出しているようなのです。

これが事実であるとすれば、霊界における罪は身体的(霊体的)な苦痛ときわめて直接的につながっていると考えられます。
罪、すなわち天法に違反するという行為が即座に身体的な苦痛となって私に感じられ、私を苦しめることになるということです。

もちろん、タワシで罪を磨くと言っても、ただ強く磨けばそれだけ効果があるというものではないようです。
時には、自分が地上で殺めた相手や、騙して不幸にした相手のところに赴いて、その相手が苦しむ姿を見て心から悔い改め、涙を流して自分の罪を謝罪するということもあるといいます。

私が参加した清平の40日修練会の体験から、この100日修練会の大変さが少しは想像されます。
真冬でも温かいお湯はほとんどなく、毎日早朝から深夜までひたすら続く霊分立の役事とみ言葉の訓読。
逃げ出したくても、山の奥深くで逃げ出すこともできません。

実際、霊界の100日修練会でも、途中で辛さのあまり逃げ出す霊人が必ずいるそうです。
しかしその霊人は、スタッフが探し出して、また修練会に連れ戻すのです。

そのようにしながら、霊人が修練会で必死になって自分の罪を削ぎ落してより善なる姿になれば、自分の生活がどのように変化するかということも、非常に即実的に体験することができます。
つまり、修練会の段階ごとに霊人たちは、その時点での自分の姿で暮らせる霊層に行ってみることができるというのです。

すると、当初自分が行くべきだった霊層よりもはるかに上位の素晴らしい霊層に行けることが分かるので、再び修練会に戻ってきたときには、それまでよりももっと熱心に自分の罪を磨きたくなるのです。

このような過程を100年間も継続するというのですから、当初は罪にまみれてまだら模様だった霊人たちも見違えるような純白な姿になっていくというのです。

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罪を削ぎ落とすには * by taro
ブログの更新、いつもありがとうございます。
今回も興味深く拝見させていただきました。

ところで、前の記事で同様の質問させてもらいましたが
原理講論の「霊人体の構成とその機能」には
「霊人体は神からくる生素と肉身からくる生力要素の二つの要素が授受作用する中で成長する」
「霊人体は肉身を土台にしてのみ成長する」と記されています。

ところが、教育部長様の今回の記事を拝見すると
霊界で修練会を受ければ、「肉身がなくても霊人体の成長は可能である」という
原理講論の記述とは一見矛盾する内容が語られているかのように感じました。

僕は、神様の、人間の創造目的から考えても
有形実体世界と肉身なくして霊人体の成長はあり得ないと理解しているのですが

この点を教育部長様は、どのように理解されていらっしゃるのでしょうか?

管理人のみ閲覧できます * by -

Re: 罪を削ぎ落とすには * by 教育部長
ご質問になかなかお答えできなくて申し訳ありません。
今私が理解している範囲で、簡略に書いてみます。

大母様のお話の中に、
「霊人たちは時間が経てば経つほど 100 日間で全て清めることができないかも知れないと心配し、焦る思いを持ちます。そのとき、地上の祝福家庭たちが一生懸命に精誠を尽くせば、先祖たちがより早く罪を清めることができます。しかし、子孫が意識せずに生活すれば、たやすく清めることができません。
皆さんが先祖解怨式をした後「終わった」という思いを持たず、先祖祝福式をしに来る前まで先祖たちのために精誠を尽くしてください。歩いたり皿を洗ったりしながらも、一度くらい「私の先祖たちが罪を早く清算できますように」と考えれば、その心が伝えられて清めやすくなります。このことを絶対に忘れないでください」
とあります。

原則はやはり、統一原理の復活論にある通りだと思います。
地上人が地上で尽くす精誠が土台となり、それが霊界の霊人に送られて霊人の力になる。
また、霊界の100日修練会で霊人が完成するのでもないとも言われています。
飽くまでも愛を中心とした感性などは、善霊となった後に地上に再臨してから、地上人を通して最終的に完成して行くものだと思います。
 
しかし、清平はやはり特別なところだと思います。
霊界の100日修練会は簡単に実現できたものではなく、それ自体が相当な地上での精誠の土台の上で可能だったのだろうと思います。

また、遺伝罪、連帯罪、自犯罪を脱いで、最後に原罪を脱ぐというプロセスは、地上でも本来たどるべきプロセスだったと、私は理解しています。
その意味で、霊界での100日修練会のやり方が本来の完成への道だと思いますし、地上でどのように創造目的を完成していくかという点で、いつもこれを参考にすべきものと思っています。

ご回答ありがとうございました。 * by taro
霊界の修練会で霊人が完成する訳ではないのですね。
まだ疑問はありますが、とりあえず原理講論の訂正は必要なさそうなのでよかったです。

コメント






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罪を削ぎ落とすには

ブログの更新、いつもありがとうございます。
今回も興味深く拝見させていただきました。

ところで、前の記事で同様の質問させてもらいましたが
原理講論の「霊人体の構成とその機能」には
「霊人体は神からくる生素と肉身からくる生力要素の二つの要素が授受作用する中で成長する」
「霊人体は肉身を土台にしてのみ成長する」と記されています。

ところが、教育部長様の今回の記事を拝見すると
霊界で修練会を受ければ、「肉身がなくても霊人体の成長は可能である」という
原理講論の記述とは一見矛盾する内容が語られているかのように感じました。

僕は、神様の、人間の創造目的から考えても
有形実体世界と肉身なくして霊人体の成長はあり得ないと理解しているのですが

この点を教育部長様は、どのように理解されていらっしゃるのでしょうか?
2010-08-24 * taro [ 編集 ]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-08-24 * - [ 編集 ]

Re: 罪を削ぎ落とすには

ご質問になかなかお答えできなくて申し訳ありません。
今私が理解している範囲で、簡略に書いてみます。

大母様のお話の中に、
「霊人たちは時間が経てば経つほど 100 日間で全て清めることができないかも知れないと心配し、焦る思いを持ちます。そのとき、地上の祝福家庭たちが一生懸命に精誠を尽くせば、先祖たちがより早く罪を清めることができます。しかし、子孫が意識せずに生活すれば、たやすく清めることができません。
皆さんが先祖解怨式をした後「終わった」という思いを持たず、先祖祝福式をしに来る前まで先祖たちのために精誠を尽くしてください。歩いたり皿を洗ったりしながらも、一度くらい「私の先祖たちが罪を早く清算できますように」と考えれば、その心が伝えられて清めやすくなります。このことを絶対に忘れないでください」
とあります。

原則はやはり、統一原理の復活論にある通りだと思います。
地上人が地上で尽くす精誠が土台となり、それが霊界の霊人に送られて霊人の力になる。
また、霊界の100日修練会で霊人が完成するのでもないとも言われています。
飽くまでも愛を中心とした感性などは、善霊となった後に地上に再臨してから、地上人を通して最終的に完成して行くものだと思います。
 
しかし、清平はやはり特別なところだと思います。
霊界の100日修練会は簡単に実現できたものではなく、それ自体が相当な地上での精誠の土台の上で可能だったのだろうと思います。

また、遺伝罪、連帯罪、自犯罪を脱いで、最後に原罪を脱ぐというプロセスは、地上でも本来たどるべきプロセスだったと、私は理解しています。
その意味で、霊界での100日修練会のやり方が本来の完成への道だと思いますし、地上でどのように創造目的を完成していくかという点で、いつもこれを参考にすべきものと思っています。
2010-08-24 * 教育部長 [ 編集 ]

ご回答ありがとうございました。

霊界の修練会で霊人が完成する訳ではないのですね。
まだ疑問はありますが、とりあえず原理講論の訂正は必要なさそうなのでよかったです。
2010-08-25 * taro [ 編集 ]