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左脳の喜び、右脳の喜び

kitasendo
2024-03-01

私たちは誰でも喜びを求めてゐますが、脳には左脳と右脳の二つに分かれてゐて、喜びの種類にも二通りがあるやうに思ひます。左脳の喜び右脳の喜びと呼びませうか。

左脳は、言語や論理が得意な脳です。その特徴は何かと言へば、「これ」と「あれ」とを分けることです。言葉の本質は、まさにそこにあります。

たとへば、「私」といふとき、それは「私以外のすべてのもの」と「私」とを分けることです。「私」は他のあらゆるものから分離された、独立的な存在であることを、「私」といふ言葉は主張しようとします。

それで、このやうな言葉を操ることに長けた左脳は、「私」ができるだけくつきりと他のものから峻別されることを目指し、それができればできるほど喜びを感じる性質を持つてゐます。

「私はこの分野で優れてゐる。他の人には追随できない才能を有してゐる」
これが左脳の喜びです。

そのために、左脳は可能な限り自分の持てる特殊な能力を磨き、高めようとします。卓球を始めたなら、できるだけその技量を高めて、競争相手に勝ちたいと思ふ。そしてそれが達成されると、「勝利」「卓越」の喜びを感じるのです。

それに対して右脳は、真逆と言つてもいゝほどの指向性を持つてゐます。右脳は自他を区別するよりもむしろ、自他の区別をなくさうとするのです。

こんな病理の実例があるさうです。

ある人が左脳に脳梗塞を起こし、左脳がほぼ機能しなくなつた。すると、その人は自分の体が溶け出すやうな感覚になり、自分の体と周囲との境界線がだんだん分からなくなつていつた。そしてそのとき、得も言はれぬ歓喜を覚えたといふのです。

これは、自他を区別する左脳が機能を停止したため、右脳優位となつて、自他の区別がつかなくなつた。その結果、右脳が求める自他一体感の喜びを感じた。そのやうに理解できるでせう。

自他一体の喜びを求める右脳には、自分が他から少しでも抜きん出ようといふやうな指向性がない。競争がなく、他と同一化しようとだけ願ふ。相手の喜びが自分の喜びのやうに感じられる。

左脳の喜びと右脳の喜び。これらはどちらがより価値が高いといふものではないでせう。どちらもあつていゝし、どちらも必要だと思ふ。むしろ、どちらかに片寄ると支障が出て、あまりよろしくない。

左脳優位に傾くと、自己主張が強くなり、競争が激しくなる。「正しいかどうか」が判断の基準になり、自分が正しいことを主張して、相手を批判してやまない。摩擦の多い、ぎすぎすした社会になります。

一方、右脳優位に傾くと、競争が著しく減つて、かなり穏やかになるでせう。だから私は、基本は右脳優位がいゝと思ふ。その上で、左脳が適度なルールを定めて自他の秩序を保つやうにする。左脳は私たちが人生をよく航海するための道具くらゐに考へて、あまり強く自己主張させない。

どうしたら右脳優位に保てるでせうか。今の世の中はかなり左脳優位です。かと言つて、全員を左脳脳梗塞にするわけにもいかない。

考へ得る方法は、できるだけ左脳が得意な「思考」を減らすことだと思ふ。ただ、思考にも二通りあります。一つは「意識的に」考へようとしてする思考。もう一つは「無意識的に」我知らず出てくる思考(これを自動思考と名づけます)。

そして、前者を心持ち減らす。そしてできるなら、後者の思考は撲滅したい。それによつて、頭(脳)の中をできるだけ「純粋な空白」に近づけるのです。

要は、可能な限り「考へない人」になる。考へないで、「考へを待つ人」になる。

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Admin:kitasendo