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「思考」と「魂」

kitasendo
2024-02-21

昨日の記事で取り上げた『喜びから人生を生きる』。インスピレーションに溢れてゐるので、もう少し書き足します。

何が自分を突き動かしているのかを見極めるには、コツがいるかもしれません。大切なのは、思考は”すること”を重視し、魂は”存在すること”を重視するという点です。私たちの本質は、無限の自己です。… 知性は、この(世の)人生を航海するための道具にすぎません。(第16章「私たちは神と一体である」)

自分の人生の原動力が「思考」であるのか、それとも「魂」であるのか。それを明確に判別するには、「思考」と「魂」の本性をよく知る必要があります。その際、思考は「すること」を重視し、魂は「存在すること」を重視するといふ、この違ひはとても重要な点だといふ気がします。

思考とは何でせうか。思考はこの世の人生を生きる上では役に立つものですが、所詮は道具にすぎない。思考によつて、「うまく生きる」ことはできても、「よく生きる」ことは必ずしもできない。

なぜさうかと言へば、思考は時間の流れの中で機能し、その動機は恐れであることが多いからです。それで、できるだけ先回りしながら、恐れを取り除くことによつて「うまく生きよう」とするのです。本当にさうか、自分自身の思考をよく点検してみてください。

私たちはどういふとき、自分の頭を使つて思考をフル稼働させるでせうか。

「どうしたら、これをよりよく成し遂げることができるだらうか」
「何をしたら、万が一の場合に備へることができるだらうか」

このやうな場合に、思考は自分の存在意義を感じて、持てる力を全開にするのです。その動機を見れば、「これをしないと、この先どうなるか」といふ、未来への不安恐れが主要な要素になつてゐることに気づきます。

思考の根底になぜ恐れがあるのでせうか。

思考の出発点は、
「今の私は、このまゝでは何かが不足してゐる」
といふ自己認識にあるからです。

何かが不足してゐるから、少しでも早くそれを埋め合わせておかなければいけないといふ不安を感じ、未来に焦点を当てて思考する。それでつねに「すること」に集中する。これが思考の本性なのです。

それに対して、魂は
「自分は無限の自己であつて、必要なものをすべて、すでに持ち合はせてゐる」
と知つてゐるやうです。

だから、自分は「あるがまゝ」でいゝと思つてゐる。すべて揃つてゐるなら、急いで「すること」など何もない。自分はただ「存在する」だけでいゝと思つてゐるのです。

ところが私たちは、大抵は思考が優位でこの世の人生を生きていくでせう。それで、「道具」にすぎない思考を、自分の本質、自分の核心であるかのやうに勘違ひしてしまふことになるのです。

それなら、魂が考へるやうに、私たちは本当にすべてのものをすでに持ち合はせてゐるのでせうか。こゝで、祈りについて考へてみませう。

祈りには、「思考の祈り」と「魂の祈り」の二通りがあると見ることができます。

「思考の祈り」は、
「今の自分はこれが足りない。その不足を補へるやうに、力をください」
といふふうに、今はないものが未来に現象化(成就)するやうに神に祈る。

そして祈つた結果、自分が祈つたやうな結果を得ると、
「あゝ、私の祈りが神に聞かれた。自分の中になかつたものが与へられた」
と思ふわけです。

このとき、「足りない私」と「全知全能の神」とは分離してゐて、別々の存在です。

それに対して、「魂の祈り」はどうでせうか。

「私が願ふすべてのことは、すでに成就してゐる。ただそれが今はまだ現象化してゐないので、確信を持てるやうにしてください」
といふ祈りになる。

魂にとつての祈りは、何事かを成就するためではなく、成就してゐるといふ確信を得るための祈りなのです。そして確信を得ることができたなら、自分の祈りがすでに成つた人のやうに行動することができます。

二つの祈りがこのやうに違つた様相を持つのは、思考と魂の性質の違ひによります。思考は直線的な時間の流れを作ることで、今足りないものを、未来に成就しようと考へる。それに対して魂には時間の流れがなく、「今」しかないので、「いつか成る」といふ概念自体がないのです。

思考は「すること」に執着するので、それができるかできないかに心を奪はれやすい。また、「すること」自体が目的になつたり、「しない」人を批判したり、より合理的に成就しようとして狡猾で自己中心的になることもあり得ます。

いつぽう魂は、「存在すること」「あるがまゝ」にだけ関心があるので、自分の願ふことがすでに成つてゐると分かるだけで嬉しい。「今の喜び」だけが目的なのです。

かういふことは、祈りに限つたことではないでせう。人生のどんな側面でも、「思考」で対するのか、それとも「魂」で対するのか。それを見極めることが普遍的に大切なことのやうに思へるのです。

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Admin:kitasendo