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「堕落性を脱ぐための蕩減条件」はどこまで有効か

kitasendo
2023-12-15

原理講論』に「堕落性を脱ぐための蕩減条件」といふ用語が出てきます。この蕩減条件によつて、果たして私は本当に堕落性を脱げるのか。今回はそのことを考へてみます。

■ 堕落性とは何か


こゝに、私とその同僚がゐるとします。2人は同じ指示に基づいて、同じやうに努力した。ところが、結果的には、同僚の成果だけが認められ、私のものは不採用になつた。

さういふとき、私の心には「愛の減少感」が生じる可能性がある。

「同じやうに努力したのに、なぜ彼のものだけ認められて、私のが否定されたのか」
といふ疎外感、やりきれない思ひが生じて、私の中には同僚への「妬み」が湧き上がる。

かういふ性質を「堕落性」と呼ぶわけです。そして、かういふ厄介な性質を脱却するための方法として、『原理講論』はある一定の蕩減条件を立てよと示唆します。

ごく簡潔に言へば、
「神と同じ立場に立ち、同僚を仲保として、彼に従順に屈伏し、彼の主管を受け、彼から善のみ言葉を受けてそれを繁殖する」
といふものです。

これがその如くできれば、良ささうに思へます。ところが、こゝには厄介な問題がある。

今なぜ私に「妬み」が生じてゐるかと言へば、私が「神と同じ立場」に立てず、同僚を「仲保」とできず、彼に「従順に屈伏」できず、「善なる行動」ができないからでせう。ところが、『原理講論』はその真逆、できないことをやりなさいと言ふ。

もちろん、この指示はある意味、理に適つてゐます。堕落性を直さうとするなら、それが起きるのと反対のことをしなければならないはずだからです。

■ 何の力で克服するのか


しかし私が厄介だと思ふのは、
「一体何の力で、反対のことをするのか」
といふことなのです。

多分、意志の力しかないでせう。それなら、その意志の力はどこから生まれるか。

原理講論』に限らず、何らかの宗教的霊的教へに触れた人なら、まづ、「これは直すべき性質だ」と知的に理解します。それが意志の力を生みます。多分、背後には「良心」があつて、それが意志の力を後押しするでせう。

一方、知的な理解がない人なら、頼りになるのは良心の力しかない。しかしこれは、非常に難しい。なぜなら、堕落性に翻弄されるのは、そもそも良心の力が弱まつてゐるからに他ならないからです。

それなら、知的に理解した人であればたやすくできるかと言へば、それもまたたやすくはない。なぜなら、知も意思も、思ひ(堕落性)の後追ひだからです。

思ひは潜在意識の深い領域から湧き上がつてくる。それを堕落性だと認識するのは、私の顕在意識です。ところが、顕在意識は湧き上がつてきた思ひを認識するだけであつて、それを事前にとめる力はない。できることがあるとすれば、それは「拒否権の行使」だけです。

つまり、『原理講論』の言つてゐるのは、この「拒否権」を行使せよといふことです。

「堕落性が起こつてきたときには、それを拒否して、反対のことをせよ」
と言つてゐるのです。

これはつまり、堕落性そのものをなくすことができないといふことではないでせうか。

■ プログラムを書き換へる


なぜ、そんなことになるのか。私なりに考へてみます。

堕落性は「思ひ」であり、心のレベルで現れてくる現象です。ところが、その現象を「私」の承諾なしに起こしてゐるプログラムが存在する。それが「堕落性本性」です。

このプログラムは私の潜在意識の中で稼働しており、ほぼ無自覚の内に動いてゐるので、「私」の意識(顕在意識)ではほぼ制御できない。それでただ、出てきたものを認識し、拒否するか承諾するか、選択するしかないわけです。

そこで、堕落性を本当に消去するために必要になるのは、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」ではなく、「堕落性本性といふプログラムを書き換へる手法」だと思はれます。前者であれば、出てきた堕落性の思ひを「拒否」することしかできない。後者の手法を駆使できてこそ初めて、思ひ自体をなくすことができるやうになります。

出てきた思ひを認識し、ダメだと思つたら拒否する。それは私にできることであり、また、それが私の責任分担だとも言へるでせう。しかしこれだけでは、根本解決にならない。

後者の手法はどこで見つけ、どのやうに駆使したらいゝのでせうか。

私の推測では、プログラムを書き換へることは、私の力だけではできない。かなりの部分を神の95%に委ねる必要がありさうに思へます。これについては、また改めて考へてみます。

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静思

堕落性をぬぐための蕩減条件を実行すると

たまにですが、ブログを読ませてもらっています。
私は自身の堕落性に悩み、どうやったらこれを脱ぐことができるのか、み言葉も読み、祈り求める中で、
堕落性の欲するところと全く逆の行動をすることで蕩減できるのではないかと試したことがあります。
堕落性を中心としては、絶対に主管されたくないところのアベルに、自分の悩みを報告することは、
アベルに主管されようという行動になるという考えをもった為でした。
その当時、アベルに対する複雑な思いも含め、報告文のような形でアベルに報告しました。
それにアベルがどういう対応をしたかの記憶は全くありませんが、
その結果として、自分でも不思議に思えるほど、アベルに対する複雑な思いが湧くことさえも
全く消え去りました。一つ堕落性の衣を脱いだような感覚になったのを記憶しています。
この経験を通して、これは実践するためのみ言葉であるとの思いを強くしました。

2024年03月04日 (Mon) 11:25
kitasendo
kitasendo

Re: 堕落性をぬぐための蕩減条件を実行すると

貴重なコメントをありがとうございます。
一読して、ハッとして、うーんと唸りました。「堕落性を脱ぐための蕩減条件」というのですが、単なる条件に留まらず、実質的に堕落性を脱ぐ行為でありえることに、改めて思い至りました。
アベルがどのように対応されたか覚えていないというのも、興味深いところですね。問題はアベルによる対応や指導ではなく、カイン(自分)自身の内面における手続きだということだと思います。このようなやり方は、堕落性本性と言うプログラム自体を強行的に書き換えるほどの力を持つのかと思量します。
今後の私の探求に大きなヒントを与えていただきました。感謝します。

2024年03月05日 (Tue) 17:25
kitasendo
Admin:kitasendo